さらに「First Love」「初恋」と続く2曲が、歌手、パフォーマーとしての変容、成長の跡を端的に物語る。

「First Love」は震える歌声、ファルセット交じりの歌唱が特徴的だったが、今はヴィブラートも抑え、滑らかな表現がふくよかさや深みをもたらしている。

 長年歌い続けてきた経験のたまものであると同時に、俯瞰的な視点による曲の再吟味の成果なのは明らかだ。すでに名曲とする評価が定着している。年相応の表現が説得力をもたらし、さらなる高みへと至っていくのに違いない。

 一方、新曲の「初恋」は、人を恋し、愛する衝動は、自身を生み、育ててくれた母親や父親との関係性に由来する、といった主題による。CDでの歌唱よりも、今、ありのままの彼女の思い、心情を伝える生々しい歌いぶりが印象深い。

 その2曲や自身にとって原点にあたる両親への思い、ことに亡き“母”と関わりのある曲の数々。さらに、喪失感をテーマにした孤独な内面をうかがわせる翳りのあるたたずまい。それらこそ多くのファンが親しみや共感を覚えるところなのに違いない。

 21年前、宇多田は15歳で「Automatic/time will tell」でデビュー。後に870万枚という驚異的なベスト・セラーとなったアルバム『First Love』の発表直後、Zepp東京でのファースト・ライヴを見た。16歳になったばかり、という年齢とは思えない物おじしない歌いっぷり、観客との“タメ口”によるコミュニケーションが強く印象に残っている。

 時は流れ、10年には“人間活動に専念”として一時活動を休止。2度目の結婚、出産を経て、16年、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌「花束を君に」をきっかけに音楽活動を再開。同年発表したアルバムでは、活動休止中の母親の死や社会的な出来事を背景にした曲、音楽面での斬新さなど、変容ぶりが話題となった。

 昨年発表した『初恋』での私小説的な側面と明快なポップスなど曲内容の充実、生バンド演奏とプログラミングを融和させた音楽展開は、アーティストとしての成長を物語るものだった。

『Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018』の本編とともに収録されたドキュメンタリーでは、サポートしたミュージシャンらが宇多田のサウンド・クリエーターとしての才能を証言し、一般には知られない彼女の一面を明かしている。(音楽評論家・小倉エージ)

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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