がんで瀕死も家族の安否を気にかけ…大震災に起きた奇跡 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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がんで瀕死も家族の安否を気にかけ…大震災に起きた奇跡

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山内リカ週刊朝日#がん

2冊目になった「患者ノート」

2冊目になった「患者ノート」

土井卓子医師(左)、太田秀樹医師

土井卓子医師(左)、太田秀樹医師

 どんな医師にも「忘れられない患者」がいる。自分の道を決めるきっかけとなったり、時には現代科学では説明しきれない奇跡を見せてくれることも……。名医が心に刻まれたエピソードを語った。

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■自分より他人を心配、大震災における奇跡

 年間400例以上の乳がん手術に40年近く携わってきた湘南記念病院乳がんセンター(神奈川県鎌倉市)の土井卓子医師。2011年の東日本大震災で目にした、ある奇跡が記憶から抜けないという。

 患者は42歳の陽子さん(名前は原則として仮名)。進行性の乳がんを患い、1年ほど前から土井医師のもとで治療を受けていた。シングルマザーで、仕事をしながら12歳の女の子を育てていた。治療と仕事、育児をともにやる大変さは想像に難くない。そんななかでも陽子さんは明るく前向きで、いつも何かしら土井医師に「提案」をしている人だった。

 術後の経過について話をしていた際、陽子さんがこんな提案を持ちかけてきた。

「先生、ノート置きましょうよ。待合室で話をしていても、テレビを見ていても何か物足りないんです。患者同士、顔が見えなくてもいいから、意見交換できるノートがあればいいかな」

 土井医師はすぐに応じた。

「とてもいい提案だったので、翌日さっそくノートを買いに行き、外来に置きました」

 だが、彼女がそのノートに自身の気持ちをつづることはかなわなかった。

「直後に肝転移が見つかったのです。腹水もたまり始め、すぐに入院が必要となりました」(土井医師)

 陽子さんの娘は、近所のサポートを受けながら一人で留守番をすることに。陽子さんは自分がいなくなったときのことを心配し、いずれは東北に住む姉に託すつもりでいたという。

 その姉が入院中の病院に来ることになった。予定は3月12日。陽子さんの容体からしても、ギリギリのタイミングだった。そして、その前日に起こったのが、東日本大震災だった。

 鎌倉市にある病院では揺れはさほど強くなかった。入院患者に状況を伝えるため、病棟を回った土井医師が陽子さんの病室に行くと、そこに顔を真っ青にした陽子さんがいた。


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