もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は、俳優の梶芽衣子さんです。人生の大きなターニングポイントは、27歳で結婚をあきらめたこと。破談となったとき、相手から言われた言葉を胸に刻んで、俳優としての道を極めてきました。
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私の人生で残念なことがあるとすれば、それは子供を産まなかったことです。私は子供が大好きで、俳優にならなかったら保育士になっていたと思います。結婚したら俳優を辞め、家庭に入るつもりでした。
20代半ばを過ぎたころ、ご縁があって、ある方と婚約しました。結納を交わしたときは、「女囚さそり」を撮り終え、一段落ついていたころ。あのとき、結婚していれば、引退して平凡な家庭を築き、普通のお母さんになっていたと思います。
しかし、「さそり」は大ヒットし、契約更新して続編を作ることに。結局、婚約した彼とは関係が破たんしてしまいました。別れるとき、彼が「これから誰とも結婚せずに、死ぬまで仕事を続けろ」と言い、それに私は「はい、わかりました」と返事をしたのです。
破談と時を同じくして、所属していた東映を辞め、フリーになりました。幸せの形は人それぞれで、運命はどう動くかわかりません。今までの自分を一切捨てて、ゼロからスタートしたのです。フリーランスとして仕事をすることは、たった一人で走り続けることと同じです。例えるなら、オートバイに乗っていて、転倒しても誰も助けてくれない、自己責任の世界です。
それから40年以上、覚悟を胸に、あらゆる修羅場をくぐり抜けてきました。あの約束通り生きてきたから、今の自分があります。
――梶の代名詞となった「女囚さそり」シリーズ。ヒットの裏に、人生の大きな岐路があったのだ。ここで、時計の針を少し戻そう。梶は1965年、日活に入社し、俳優としてのキャリアをスタートさせた。当時はテレビ番組が娯楽として台頭してきた時代で、映画の世界は転換期を迎えていた。