私はたばこも30歳をすぎてから吸ったくらいで、本来はそういうものに依存したり執着したりするタイプじゃない。でもあのときハマってしまったのは、時代に取り残されちゃった、みたいな感覚があったからかもしれない。
昔はあんなに華やかで素晴らしいステージをしていたのに、曲が以前ほどヒットしなくなってちょっとたそがれてきちゃった。そんな自分の姿が許せない。周りにそう見られるのもいやで、余計にお金を使ったんです。世界中を旅したり、高価な宝石を買ったり、そうやって浪費している自分が許せなくなったり……。ジレンマのなかで大麻に手が出てしまったのかなと、いまは思います。
そこから這い上がるために必要だったのは、結局、自分の意志でした。2人の母も心配してくれたけど、立ち上がることは自分でしかできない。友人との関係や誘惑を断ち切って、目を覚まして、芸能界でもう一度やらなきゃとふんばった。「そうよ、私はこの世に生まれなかったかもしれない子なんだから」って。
■歌手は忘れられてもキャラは残る
キャバレーをまわり、どんな仕事も引き受けた。そんなとき美川はコロッケと出会う。実はコロッケに自分のものまねを勧めたのは、美川本人だった。
コロッケのことは前から知っていて、88年に私の誕生パーティーに来てもらったの。そのころ彼は千昌夫とブルース・リーと、ちあきなおみしかレパートリーがなかったから「私をやんなさいよ」って言った。最初は「できませんよ、美川さんは難しいもん」って。
でも、あるときテレビを見たら、お笑い番組でコロッケが私のものまねをしてるじゃない。手をたたいて笑ったわ。「なんていい子なの!」って。それで89年のお正月にコロッケとものまね番組に出演しないかと声がかかった。私はそのとき「おもしろいかもね」って思った。
――まねされた本人が番組に登場するのは初めての試み。ものまねをいやがる歌手も少なくないが、美川は好機ととらえた。持ち前の自己プロデュース力で「美川憲一」というキャラクターを作り上げていった。