100歳以上の人を英語では「センテナリアン」という。1世紀(センチュリー)以上生きてきた人は、その存在自体が発光している。いくつになっても「昔」ではなく、「いま」に恋する力があるからなのだろう。
【写真】2017年の女流画家協会展に出品した「回想・四姑娘山の青いケシ」
洋画家の入江一子さんは、10月17日から東京・六本木の国立新美術館で始まる「独立展」の準備に追われていた。絵の制作はJR阿佐ケ谷駅から徒歩5分ほどの住宅街の中にある「入江一子シルクロード記念館」で行っている。
ドアを開けると、こぼれるような花、にぎやかな祭りの風景が目に飛び込んでくる。色とりどりの民族衣装を身に着けて踊る人々の力強さ、気高さ。入江ワールドのエナジーが満ちた空間には一瞬で魅了されてしまう。
「独立美術協会が主催する独立展と女流画家協会展が私の主な発表の場なんですよ。独立展には毎年200号(約2.6メートル×約1.8メートル)の絵、女流画家協会展には毎年100号(約1.6メートル×約1.1メートル)の絵を出品しています。大きなものですから、制作には1年かかります。それ以外に商品としての絵も100枚くらい描きますから、ほぼ毎日描いて暮らしている感じ(笑)」
タ、タフ。そう言えば、取材の申し込みの電話も入江さんご本人がとられましたよね?
「はい、耳がいいので。ヘルパーの方やお手伝いの方に助けていただくことも多いですけれど、自分でできることは基本、自分でやることにしています。そのほうがボケませんから」
幼い頃から遺憾なく才能を発揮してきた人だ。貿易商を営む家に生まれ、小学校、女学校時代は朝鮮半島の大邱(テグ)で過ごした。その後、女子美術専門学校(現・女子美術大学)に入学するために単身、日本へ。そして25歳の時に、満州で個展を開催する機会も得ている。
「戦後は日本に戻り、中学校や小学校の美術教員をしながら、絵の制作を続けてきました。好きなんですよ、自分が見たものを絵という形で人に伝えるのが。そしてそれを見て、人が喜んでくれるのが嬉しいの」
そんな入江さんが生涯のテーマとして描き続けるのが、シルクロード沿いで暮らす人々の姿と祭りだ。
「スケッチ旅行を始めたのは、53歳の時です。2000年までの31年間で三十数カ国訪れたでしょうか」