――生き方をも変えた環境運動。だが、あくまでも自分の軸足は音楽にある、と湯川さんは言う。

 ツイッターをやっていると、「音楽に政治を持ち込まないでください!」っていうコメントが返ってくるんです。ええーっ?って思いますけどね。

 海外では、音楽と環境問題の結びつきは強いですよね。私が動き始める前から、環境破壊を憂うアーティストはたくさんいました。例えば「カントリー・ロード」で知られるジョン・デンバーは、私が憧れるクストーの盟友です。彼の船をうたった「わが友カリプソ号」という曲を残していて、74年のロサンゼルス・ユニヴァーサル・アンフィシアターでの伝説のライブでは巨大スクリーンに、クストーが撮影した海の映像を投映して歌い上げました。80年代後半、ポリスのヴォーカリスト、スティングはワールドツアーでアマゾンの熱帯雨林の危機を訴えました。

 彼らの中では、自分の意見を表明するのは当たり前のこと。でも、日本でそれをやると「うるさいおばさん」とか「左翼」になる。

 それは、日本と欧米の音楽の位置づけの違いだと思うんです。アメリカもヨーロッパも多民族社会です。肌や目の色も、言葉も、信じる神様も違う人たちが、なんとかうまくやっていくためには、コミュニケーションが大切なんです。それも、主義主張を声高に叫ぶだけじゃ衝突になりかねない。そこで、自分の思いをメロディーにのせて、楽しく無理なく伝える手段として、音楽がある。そういう側面は間違いなくありますよね。

 一方で日本の芸能っていうのは「癒やし」なんです。木戸銭(入場料)を払って、寄席に行く、演芸場に行く。落語、漫才、歌舞伎で一日の疲れを癒やして、憂さを晴らす。日本の場合は、音楽にことさら政治やメッセージ性は必要なかったんですね。

 なぜなら、日本は端から端まで日本語が通じて、話せばわかる文化ですから。音楽は、みんなで集まって好きに歌ったり、演奏できるだけでいい。音楽はそこにあるだけでいい。私もそう思っています。

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