リオデジャネイロ五輪体操女子代表の宮川紗江選手(18)のパワハラ告発で揺れる日本体操協会。
宮川選手は29日夜に開いた会見で塚原光男副会長(70)と妻の千恵子女子強化本部長(71)に速見佑斗コーチ(34)の暴力行為を認めるよう強要され、「家族もコーチも否定され、私は速見コーチと引き離されてしまうんだと恐怖と苦痛で全てがおかしくなってしまいそうだった」「五輪に出られなくなるわよ、と言われた」などと訴えた。
これに対し、塚原夫妻側は文書を発表し、「ご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪したうえで、宮川選手側が主張した「私の方が100倍よく教えられる」などの発言はしていないと主張。さらに「五輪に出られなくなるわよ」という発言については、直近の成績が振るわなかったことなどを踏まえたもので、選手を脅すための発言ではなかったと釈明した。
実は、塚原夫妻の「独裁」が取り沙汰されたのは今回が初めてではない。さかのぼること27年。1991年11月3日の全日本体操選手権(山形市)の女子体操で集団ボイコット騒動が起きた。
この騒動を報じた91年11月15日号の週刊朝日によると、その背景には<わかりやすくいえば、塚原夫妻が審判まで牛耳っており、“塚原派”の選手たちだけに甘い点をつけているのはもうがまんできない>という不満があったというのだ。
ボイコット決行直前には“反乱派”のリーダー格だったAコーチらが記者会見を開き、
<規定の採点は納得できない。日本体操協会女子競技本部派遣の主任審判員を審判業務から退(原文ママ)いてほしい>という要望書を提出した。
「女子競技本部」とは「女子競技委員会」のことで、委員長は塚原光男朝日生命クラブ監督(当時)。主任審判員4人の中には千恵子夫人や塚原氏が監督を務めた朝日生命クラブのコーチ2人が入っていたのだ。
しかし、塚原夫妻は強気の姿勢を崩さず、結果、女子25チーム72選手が出場予定だったが、16チーム46人が突然のボイコット。当時大会委員長を務めた遠藤幸雄氏は「審査に抗議があり、問題が解決できなかった」と陳謝した。泣き出す選手もおり、異様な雰囲気が漂ったという。
週刊朝日では当時から塚原夫妻の一強ぶりをこう報じている。