投手と内野手の二刀流でチームを引っ張った根尾(撮影/遠崎智宏)
投手と内野手の二刀流でチームを引っ張った根尾(撮影/遠崎智宏)
甲子園への苦手意識を克服した藤原
甲子園への苦手意識を克服した藤原

 大阪桐蔭が甲子園で史上初2度目の春夏連覇を達成した。その偉業を成し遂げるまでには、幾多の挫折や重圧があった。最強世代とも呼ばれる彼らの2年半に渡る軌跡をノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。

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 2016年1月、私は東京からおよそ5時間をかけて、岐阜県は飛騨高山の山間地域に向かった。その日は吹雪に見舞われ、凍えるような寒さだったことを覚えている。大阪桐蔭に入学予定のスーパー中学生がどんな環境に育ったのか。それを一目見たかった。

 硬式球で既に146キロを投げただけでなく、ソフトボール投げの小学生記録(88メートル92センチ)を持ち、スキーのスラロームで日本一になった身体能力。共にへき地診療所の医師を務める両親のもと、成績はオール5で生徒会長を務めた文武両道ぶり。何より、その根尾昂(ねおあきら)という名前に引かれた。ネオ・スター誕生の予感しかしなかった。

 大阪桐蔭には、中学硬式野球の日本代表クラスがこぞって入学を予定し、既に140キロを超す剛腕が5人も6人も入部するうわさがあった。根尾を中心にまだ見ぬ彼らが2年数カ月後、100回大会で主役になると根拠なき確信を抱き、以来、私は大阪桐蔭の公式戦や練習試合に足しげく通うことになる。

「大阪桐蔭1年、根尾昂です。よろしくお願いします」

 直立不動でそうあいさつされたのは16年の秋季大阪大会。根尾は入学直後からベンチ入りしたが、学校側の意向で取材機会はそれまでなかった。太い眉毛に、吸い込まれるような瞳。想像していたとおりの純朴そうな球児だった。

 入学当初は投手に専念し、1年秋からは外野手や遊撃手にも挑戦した。打席では常にフルスイングし、粗削りながらそのスイングスピードに圧倒された。スキーで培った体幹の力とバランス感覚が遊撃の守備に生かされ、マウンドに上がれば直球とスライダーで相手を抑えていく。

 どのポジションでもそつなくこなす。だからこそ、彼の身体能力が最も生かせる適性がどこなのか、は判然としなかった。

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