「最強世代と呼ばれて過信があったわけではないのですが、見つめ直すきっかけとなった敗戦でした」

 翌日、同校グラウンドに向かうと、そこにはジャージー姿の中川がいた。1、2年生の部員を集め、長い時間、何やら話し込んでいた。そしてこの日、2年生部員の満場一致で新主将に中川が選ばれた。

「守備でも打撃でもチームメートとの確認を怠らない。99%の意思疎通はできても、残りの1%が隙になる。あの甲子園での借りは甲子園でしか返せない」

 秋季大阪大会、近畿大会を制したが、明治神宮大会準決勝の創成館戦で、藤原や根尾に守備の乱れが出てしまう。中川は「どこか自分たちに慢心があったのかもしれない」と振り返った。この敗戦が唯一、最強世代が喫した黒星である。さらに、この夏の北大阪大会で最大の窮地に立たされた。大阪で雌雄を争ってきた履正社との一戦で、先発した根尾が八回に逆転を許す。1点をリードされた状態で、九回2死走者なしまで追い込まれた。そこから4選手が四球を選んで同点に追いつくと、山田健太が逆転打を放ち、最後は柿木蓮が試合を締めくくった。

 試合直後は誰も「負けることは考えていなかった」と振り返っていたが、根尾は後日、「僕らは一度死んだ身」と口にした。死線に立ち、そこからはい上がった集団に、もう敗北は考えられなかった。

 秋田の“雑草軍団”金足農との甲子園決勝で、大阪桐蔭は相手エース・吉田輝星を初回から攻略。疲労困憊(こんぱい)の吉田をマウンドから引きずり下ろすきっかけとなったのは、根尾のバックスクリーンへの一発だった。粗削りだったスーパー中学生は、二刀流を貫きミレニアム世代の顔というべき存在にまで成長した。

 そして藤原もこの夏は4割6分2厘とチーム最高打率を記録し、3本塁打(甲子園通算5本塁打)。甲子園に対する苦手意識も、いつしか克服していた。

「練習を重ねたことで払拭できたと思います」

 金足農との点差を離しても、大阪桐蔭は攻撃の手を緩めない。彼らは最後まで一分の隙も見せず13対2で勝利。根尾は言う。

「甲子園には忘れ物があって、そのおかげで春夏連覇できた。今年の甲子園は僕らにとって、“やり返せた”ステージでした」

 能力の高い選手たちが大きな挫折を経験し、一球の、そしてワンプレーの恐ろしさを知ったのが昨年の夏だった。あの敗北があったからこそ史上初となる2度目の春夏連覇は成就した。(ノンフィクションライター・柳川悠二)

週刊朝日  2018年9月7日号