しかし、やがて坪山氏は旧知のジャーナリストが同年8月2日に東京・新橋の「銀座第一ホテル」で金大中氏にインタビューする予定があるという情報を事前に入手し、そこでようやく本人の姿を捕捉することに成功した。つまり、坪山氏の働きにより、KCIAは金大中氏の居所をつかむことができたのである。

 それから6日後の8月8日、金大中氏の追尾を続けていた金東雲らKCIA工作チームは、東京・九段下のホテル・グランドパレスで拉致を実行。そのまま金氏を車両で神戸市内の韓国総領事館宿舎に連行し、翌9日早朝、大阪港から偽装貨物船「龍金号」に乗せてひそかに日本を離れた。金氏がソウル市内の自宅前で“解放”されたのは、同13日のことだった。

■金大中事件ではKCIAに“協力”

 都心のホテルで白昼堂々、韓国の著名な野党指導者が拉致されるという驚愕の事件に、警察当局はその威信をかけて最高レベルの捜査態勢を敷いた。そしてまもなく、拉致現場から採取された指紋のひとつが、駐日韓国大使館員・金東雲のものであることが判明する。彼がKCIA工作員であることは、警察も当然把握していた。

 当の坪山氏からも警察当局に情報提供があり、金東雲が金大中氏を血眼になって捜していたことが明らかになった。韓国政府は否定したものの、KCIAの秘密工作であることは、こうしてきわめて早い段階から露呈することとなったのである。

 坪山氏が金大中氏の所在確認にかかわっていたことも、まもなくマスコミの知るところとなり、「元自衛官が事件に関与か?」と仰々しく書きたてられた。坪山氏が自衛隊で情報部隊に所属していたことも、左翼政党らが問題視した。

 坪山氏は現役自衛官時代、防諜活動を主任務とする「東部方面調査隊」という情報部隊の「業務班」という情報収集部門を経て、陸上自衛隊の情報部門の総元締である「陸上幕僚監部第2部」(後の調査部)の特殊チームに所属していた。

 こうした背景から、「坪山氏の調査会社は自衛隊情報部隊のダミーか?」「自衛隊は拉致計画を事前に知っていたのではないか?」「知っていて手を貸したのでは?」といったさまざまな憶測が飛び交った。

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坪山氏にぶつけた質問「ミリオン資料サービスは…」