長らく“伝説の存在”であった陸幕2部別班の詳細が、今回、複数の元隊員の証言によって初めて明らかになった。

 それによると、トップに米軍FDD(前出)の指揮官と陸自の別班長が同格で構成する合同司令部が設置され、その下に「工作本部」および日米おのおのの「工作支援部」が置かれていたという。工作本部には概ね三つの工作班が設置されていたようだ。工作班にはそれぞれ3~4人ずつ配置され、工作員は合計で十数人程度。その他に工作支援担当者がいて、別班全体の陣容は20人ほどだった。

■“特任”と呼ばれていたCIAからの工作依頼

 活動内容は主に外国情報の収集だった。海外を往来する人から話を聞いたり、そういった人に依頼して外国で情報を集めてきてもらったりした。その内容は米軍と陸幕2部の両方に報告した。各工作班にはそれぞれ大雑把に調査担当エリアを割り振っていたが、それほど厳密なものではなかったようだ。

 なお、「赤旗」などでは、「別班は国内左翼勢力の動向も調査していた」と指摘されていたが、今回取材した元別班員たちはみな一様に否定した。時期によって任務に変動があったのかもしれないが、そのあたりは不明である。

 別班の活動予算は、当初の米軍での研修時代には約80%を米軍側が負担していたが、非公然機関として正式に発足してからは、日米半額ずつを負担した。米側予算はFDDから、日本側予算は陸幕2部の総括班が支出した。

 工作費は多いときでも月額100万円程度だった。協力者への報償費も数千円から、多くて2万円程度であったという。

 サラリーマンの平均月収が5万~7万円の時代だから、現在の貨幣価値なら5倍以上にはなるだろうが、それでも公安警察などとは比ぶべくもない小規模なレベルである。「赤旗」などが「多額の資金を使って活動する得体の知れない謀略機関」として報じたのは、かなり誇張されたものだったといえそうだ。

 もっとも、それなりの秘密活動に携わったこともある。たとえば、CIAから依頼された工作もときおりあったという。ある元別班員はこう証言する。

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現在も「アジア研究分遣隊」として実在