金大中氏(1998年)(c)朝日新聞社
金大中氏(1998年)(c)朝日新聞社
吉田茂元首相(c)朝日新聞社
吉田茂元首相(c)朝日新聞社

 2009年8月18日に死去した韓国の金大中元大統領は、いくつかの謎を残したままこの世を去ったが、その最大のものが、1973(昭和48)年8月に日本で発生した同氏の拉致事件をめぐる謎だ。

 たとえば、拉致を実行した当時の韓国中央情報部(KCIA)の犯行計画を、自衛隊が事前に知っていたのではないか?との疑惑が以前から指摘されてきた。なぜなら、そのとき日本に滞在していた金大中氏の所在を突きとめるため、陸上自衛隊の元隊員がKCIAに協力していたという事実があったからだ。

 韓国の盧武鉉・前政権が立ち上げた「過去事件真実究明委員会」の調査報告書(07年10月発表)によると、当時、朴正熙独裁政権の最大の政敵であった金大中氏の反政府活動を阻止するため、李厚洛KCIA部長が金氏の拉致を指令。計24人のKCIA要員がその秘密作戦「KT工作計画」に投入されたという。

 その頃、金大中氏は亡命先のアメリカと日本とを往復しながら政治活動を行っていたが、KCIAは日本で拉致することを決定。その工作の現場責任者に駐日韓国大使館の1等書記官という“偽装身分”で活動していた金東雲が任命された。

 ところが、金東雲の工作チームは、水面下で活動する金大中氏の居所をつかむことができなかった。そこで73年7月、金東雲は旧知の元自衛官に調査を依頼する。当時、東京・飯田橋で民間調査会社「ミリオン資料サービス」を経営していた坪山晃三・元3等陸佐である。

 坪山氏はもともと陸上自衛隊の情報部門で、北朝鮮など海外情報も収集する任務に就いていたことがあり、現役時代から金東雲とは面識があった。事件後に明らかになったところによると、坪山氏らミリオン資料サービスの調査員たちは当初、金大中氏が東京での活動拠点としていた東京・高田馬場の「韓国民主制度・統一問題研究所」の事務所などを張り込んだが、警戒する金氏の姿を捉えられず、調査は難航したらしい。


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金大中事件ではKCIAに“協力”