墜落した日航ジャンボ機の車輪(C)朝日新聞社
墜落した日航ジャンボ機の車輪(C)朝日新聞社

 本誌が独占入手した日航ジャンボ機墜落事故で事故調査に加わった米国人調査官の手記は、かつて大きな反響を呼んだ。ボーイング社側が当初、爆弾テロの可能性を疑っていたことや、事故直前に日本航空が事故機の老朽化に気づいていたことなど、数々の「新事実」が明らかになったのだ。御巣鷹山から33年――。その貴重な手記を再録する。

 日航ジャンボ機墜落事故では、機体メーカーのボーイング社を抱える米国の「国家運輸安全委員会(NTSB)」も、事故発生直後に、調査官ら約10人を群馬県・御巣鷹の尾根の墜落現場に派遣した。運輸省航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)の調査を支援するのが目的だった。

 今回本誌が匿名を条件に内容を入手した手記の筆者は、その調査に加わった米国人調査官の一人だ。

 手記は、事故発生から1週間後の1985年8月19日夕、米国調査団のみで開いた会議の様子から始まっている(原文は英語)。

<今回の事故では急減圧により(機内で)霧が発生した。すでに現場を見ていたボーイングの専門家が後部圧力隔壁を点検し、修理ミスを発見したと述べた>

 修理ミスは事故の7年前、別の事故でボーイングがこの隔壁を修理したときに起きた。2列のリベット(鋲)でとめるべきところを1列でとめてしまったため、強度不足になった隔壁が飛行中に破れ、機内の空気が尾部へ流入して垂直尾翼を破壊し、事故機は制御不能になった。これが事故の真相だった。

<しかし、ボーイングの担当者は、隔壁は(修理ミスによるのではなく)墜落時の衝撃で破壊されたと述べた。私たちはその説明を注意深く傾聴した。彼の「疲労の痕跡が無い」との説明は気になった>

「疲労」とは、強度不足の隔壁が長い時間をかけて割れる現象のこと。これが確認されれば、修理ミスが原因だったと特定できる。だが、ボーイングは当初、修理ミスの影響を否定した。

 米国の調査官らはこの説明に疑問を抱き、"核心"へ迫っていった。
 <ある調査官はその夜、ホテルで事故機の飛行回数をもとに計算した。その結果、疲労が起きた可能性があると考えた。そして、できるだけ早く事故現場に行きたいと言い出した>

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ボーイングが拒否したこと