恋人と逃亡続けた「殺人マシン」 林泰男死刑囚 (C)朝日新聞社
恋人と逃亡続けた「殺人マシン」 林泰男死刑囚 (C)朝日新聞社
幼少期は不遇“愛”求め出家 岡崎一明死刑囚 (C)朝日新聞社
幼少期は不遇“愛”求め出家 岡崎一明死刑囚 (C)朝日新聞社

 医師、弁護士、科学者……「宗教国家」を夢想した麻原彰晃の下には、高学歴で才能あふれるエリートが集まっていた。26日に死刑が執行された、恋人と逃亡続けた「殺人マシン」林泰男と幼少期の不遇から“愛”求め出家した岡崎一明。地下鉄サリン事件から17年となった2012年、最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』では、オウム真理教を徹底取材。麻原の操り人形として破滅へと堕ちていった彼らの、封印されたプロファイルをひもとく――。

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*「人のために尽くしたい」と出家して2カ月で殺人者に… <教団エリートの「罪と罰」(3)>よりつづく

*  *  *

■恋人と逃亡続けた「殺人マシン」
<林泰男(はやし・やすお)>

(1)生年月日:1957年12月15日
(2)最終学歴:工学院大二部電気工学科
(3)ホーリーネーム:インディンナ
(4)役職:科学技術省次官
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):正悟師

「殺人マシン」と呼ばれた男の素顔は、意外なものだった。

 東京・渋谷生まれ。中学3年の時、高校受験ために戸籍謄本を取り寄せ、朝鮮国籍だった父が日本国籍を取得していたことを知った。日本人として育った自分の心の奥底には、朝鮮半島の人々への差別意識があるのではないか――。そんなことを考え、悩みを深めていったという。

 都立高校の定時制から、工学院大学電気工学科へ進学。成績はトップクラだった。20歳のとき、父を亡くしたことがきっかけで宗教への関心が芽生え、1983年に卒業した後は、3年ほどかけてインドやペルー、ブラジルなどを旅した。

 一方で、一人で暮らす母を気にかけ、頻繁に電話をかけたり訪ねたりしていた。

 旅を終えてしばらくすると、「体が硬直して縮む」ようになった。あちこちの病院を受信したが原因は分からなかった。同じ頃、交際していた女性とも別れ、精神的に不安定になる。そんな中で麻原の著書と出会い、87年には「オウム神仙の会」に入信し、勤めていた電気会社を辞めて88年12月に出家した。

 当初は麻原や教団幹部の運転手や、説法を録音して編集する仕事をしていた。だが、電気工事や高電圧端末処理などの資格を持っていたため、科学技術省次官として教団施設の電気工事を担うようになる。

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女性信徒と恋仲に 麻原を「信じていなかった」