あくまでも想像である。けれども、彼らの中に「自分たちにはあと30分を戦う力は残っていない。ここで勝負をかけなければ」と考えた選手がいたのであれば、あの時間、あの状況で、あたかも片道特攻のようなカウンターに出たのも納得がいく。

 あれはもう、ラスト・カウンターというより、アルティメット・カウンターだった。ベルギー史上、W杯史上に残る、究極のカウンターアタックだった。

 悔しさはある。猛烈にある。勝てる可能性はあった。勝たなければいけない状況だったかもしれない。だが、世界が注視する中であれだけの戦いを見せ、W杯の歴史に残るであろう悲劇的な散り方をした日本の選手たちに、いまはただただ拍手を贈りたい。

 彼らはアジア・サッカー史上初めて南米のチームを倒し、日本サッカー史上初めてW杯で2度のビハインドを跳ね返し、ひょっとすると日本のスポーツ史上初めて、世界中からの袋叩きも受けた。そして最後の最後に、生まれかけていたアンチ日本の感情を根こそぎひっくり返すような壮絶な戦いを演じて見せた。

 あまりにも多くの意味で、史上初めてのサッカー日本代表だった。

 ロシアでの4試合で、多くの日本人が日本サッカーの目指すべき方向性とスタイルを自覚したはずである。緻密、勤勉、勇敢……彼らが見せてくれたのは、日本人がそうありたい、そうあらなければとイメージする日本人像、日本社会像に初めて寄り添うサッカーだった。

 世界ほとんどの地域で愛され、しかし、世界ほとんどの国が見つけられずにいる国としてのサッカーの方向性を、日本は見つけた。

 頂点につながる一本道が、見つかった。

 4年後のW杯は中東のカタールで行われる。25年前に多くの日本人が崩れ落ち、涙したその地が、次の戦いの舞台である。

 ドーハの奇跡を、わたしは期待する。

週刊朝日  2018年7月20日号