ワダエミ(わだ・えみ)/1937年、京都府出身。衣装デザイナーとして世界各地の舞台や映画の衣装を手がける。「乱」で日本女性初のアカデミー賞衣装デザイン賞受賞(撮影/工藤隆太郎)
ワダエミ(わだ・えみ)/1937年、京都府出身。衣装デザイナーとして世界各地の舞台や映画の衣装を手がける。「乱」で日本女性初のアカデミー賞衣装デザイン賞受賞(撮影/工藤隆太郎)

 亡くなって20年経つ今も語り継がれる“世界のクロサワ”。その黒澤映画・全30作品を完全網羅した「黒澤明DVDコレクション」(小社刊)が創刊された。なかでも晩年の傑作と呼ばれるのが「乱」(1985年)だ。国内外で多くの賞を受賞した作品だが、この作品で日本女性初のアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞したワダエミさんに映画ライター・坂口さおりさんがインタビュー。その制作秘話を明かした。

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――ワダエミさんが初めて黒澤明監督に出会ったのは、日本での「デルス・ウザーラ」(1975年)の試写会の時だった。

 私はもともとジャン・コクトーの映画やイタリア映画が好きだったので、黒澤映画に特別な思い入れがあったわけではないんです。むしろ私にとっての黒澤さんははるかに遠いところにいらした方。まさか私が黒澤作品の衣装を手がけることになるなんて思ってもいませんでした。

 好きな黒澤映画も王道からちょっと外れて「蜘蛛巣城」、つまり「マクベス」です。お会いした時にもそんなことを申し上げましたら、黒澤さんは「実は『リア王』の映画化も考えているんだ」とおっしゃっていました。私は当時は舞台を中心に仕事をしており、映画は1作しか担当したことがありませんでしたが、「シェークスピアの戯曲に関しては36作品すべてをやりたい」と話したように記憶しています。

 それからしばらくして、美術の村木与四郎さん・村木忍さんから黒澤さんが「乱」を撮るというご連絡がありました。まだ私が衣装担当に決まる前のことです。シェークスピアの戯曲の話を覚えていてくださったのでしょう。お声をかけていただいたので能や狂言など様々な参考になりそうな資料を200冊くらい車に積んで黒澤さんのお宅に伺いました。ところが、私の考え方や黒澤さんの考え方を話し合っているうちに、成り行きで私が衣装のデザインを担当することになってしまったんです。

――黒澤監督に衣装デザインを提案する時は、一つのキャラクターに毎回3枚のデザインを描く必要があった。

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