弟のリアム・ギャラガー。オアシス時代からヴォーカリストとしての評価は高い。兄弟は英国マンチェスターの貧しい地域で生まれ育った
弟のリアム・ギャラガー。オアシス時代からヴォーカリストとしての評価は高い。兄弟は英国マンチェスターの貧しい地域で生まれ育った
兄のノエル・ギャラガー。オアシス時代のAERAの撮影では、PR担当者が「現場で何をしでかすか分からない連中です」と戦々恐々としていたが、特別なことは何も起きなかった
兄のノエル・ギャラガー。オアシス時代のAERAの撮影では、PR担当者が「現場で何をしでかすか分からない連中です」と戦々恐々としていたが、特別なことは何も起きなかった
リアム・ギャラガー『アズ・ユー・ワー』
リアム・ギャラガー『アズ・ユー・ワー』
ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ『フー・ビルト・ザ・ムーン?』
ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ『フー・ビルト・ザ・ムーン?』

 世界一、仲の悪い兄弟で、2人とも大口たたき。そう言えば、誰もが即座に元オアシスの兄ノエル・ギャラガーと弟リアム・ギャラガーを思い浮かべるだろう。

【兄のノエル・ギャラガーの写真はこちら】

 オアシスは1994年、『オアシス』でアルバム・デビュー。英国チャートで初登場1位となった。翌年の2作目『モーニング・グローリー』も1位。ブラーとともにブリットポップ・ロック・ブームを牽引し、イギリスで国民的な人気を集めた。

 ただ、リアムがトラブル・メーカーだったこともあり、兄弟の仲は悪かった。何度も解散の危機を乗り越えたが、2009年にノエルが脱退し、バンドは解散してしまう。

 リアムは、残るオアシスのメンバーとともにビーディ・アイを結成し、11年にデビュー・アルバム『ディファレント・ギア、スティル・スピーディング』を発表。2作目も出したが、尻すぼみとなって14年に解散している。

 ノエルは11年、ソロ・アルバム『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』を発表。2作目の『チェイシング・イエスタデイ』(15年)も高い評価を得た。

 そんな2人の新作がこのほど出そろった。

 先に発表されたのがリアム初のソロ作『アズ・ユー・ワー』。ビーディ・アイではオアシス時代のイメージを払拭できなかった。それを補うべく、つい先ごろベックのポップな最新作『カラーズ』などを手がけたグレッグ・カースティン、イギリスで注目されているダン・グレッグ・マーグエラットらをプロデュースに起用した。

 グレッグによる先行シングル「ウォール・オブ・グラス」は、ブリットポップ、オアシスのエッセンスを踏襲しながらも、野太くパワフルなドラムやベース、ノイジーなギターなどを配した。

 ダンが手がけた「グリーディー・ソウル」「ユー・ベター・ラン」は生ギターなども用いながらワイルドなギター・ロックを展開。いずれもリアム単独で作詞、作曲。他にドラマチックな展開の「ボールド」、スローな生ギター主体のロック・ナンバー「ユニバーサル・グリーム」もリアム単独で手がけるなどソング・ライターとしても意欲的だ。

 オアシス時代から定評のあったヴォーカリストとしての本領を発揮するとともに、叙情味のある「ペイパー・クラウン」やフォーキーな「チャイナタウン」でのファルセット、「ウェン・アイム・イン・ニード」での甘い歌声も披露している。

 歌詞では随所で悪態をつく悪ガキの片鱗をみせながら、「フォー・ホワット・イッツ・ワース」では“言い訳させてもらうと悪気はなかった”“言ってもしかたないけど、傷つけてごめん”と殊勝な一面も。

 リアムは幅広いファン層にアピールする普遍的なポップ・アルバムづくりに成功した。とりわけオアシス・ファンを喜ばせた。

 一方、ノエルのソロ・プロジェクト、ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズは、新作『フー・ビルト・ザ・ムーン?』を11月に発表した。

著者プロフィールを見る
小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

小倉エージの記事一覧はこちら
次のページ