明治のアナーキストは、こぞってフリーン、フリンのフリーラブ実践者です。

 秋水は四国の酒造業者の息子で、英語が堪能で女にだらしがなく自ら「どら息子」と名乗り、友人へのハガキに「どら息子今ならフリーラブ論者」という狂句を書いていた。須賀子に言い寄られて、逃げまわっていた秋水は、ついうっかり、「じゃあ、一回だけだよ。寒村には秘密ですよ」と言っていたが、「もう一回」となり、「三回、四回、五回」とつづくうち「どうせなら、六回七回八回」、あとは計算がわからないほどズルズルとつづいた。

 秋水は妻と離婚して、千駄ケ谷に引っ越して須賀子と同居した。獄中にいた寒村のもとへ須賀子は離縁状の手紙を送り「秋水と結婚した」と知らせました。

 仲間の大杉栄(おおずぎさかえ)もフリーラブ論者でしたが、「幸徳は獄中の同志から女を奪った。管野は陣笠(じんがさ)から首領にのり替えやがった」と怒りました。秋水は同志からもハレンチ漢と、ののしられました。

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