いま、週刊誌で騒がれるフリンは、女優さんがテレビ番組からおろされたり、女性政治家が泣いて反省してお涙当選するレベルで、ただの風俗事件です。蜜の味がしません。

「大逆事件」の嵐のなかで寒村は桂首相暗殺を謀って果たせず、その事情を小説『冬』に書きました。「万朝報」に小説を書き、大杉栄とともに創刊した「近代思想」では月評で「文壇の社会的関心の欠如」を鋭くついた。

 ロシアへ潜行しているときに関東大震災があり、家へ着くなり妻初枝(須賀子より腹のすわった女)が「あなた、なんだって帰ってきたんです。もっとロシアにいればいいじゃありませんか」と言った。日本にいれば寒村も殺されていた可能性がある。

「朝日ジャーナル」で「寒村茶話」の連載がはじまったのは昭和五十年。同誌が出るとまずそのページから読んだ。「監獄料理」の話が出てきて、初めはのどを通らなかった料理がうまくなり、「肥料桶(こえたご)」から肥びしゃくで汲(く)み出すような朝の味噌汁が、「待ち遠しくて仕方なくなる」とある。愉快愉快。

週刊朝日  2017年11月24日号