歴代の制服が披露されたルフトハンザのファッションショー(撮影/中川透)
歴代の制服が披露されたルフトハンザのファッションショー(撮影/中川透)
ファッションショーに特別ゲストとして登場した矢飼順子さん(撮影/中川透)
ファッションショーに特別ゲストとして登場した矢飼順子さん(撮影/中川透)

 ドイツの航空会社「ルフトハンザ」が20日、客室乗務員(CA)のファッションショーを東京都内で開いた。かつて“スチュワーデス”と呼ばれた時代も含め、色とりどりの制服を披露し、フライトの歴史を振り返った。

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 1926年の創業当初、客室乗務員は全員男性。グレーのジャケットに白いシャツ、ネイビーのネクタイ姿でサービスを提供した。その後、乗務員は女性の憧れの職業“スチュワーデス”に。南国路線の拡大に伴って使われたトロピカルな制服や、帽子や手袋とコーディネートした制服が、次々と披露された。

 ルフトハンザが日本路線を開設したのは、1961年。その年に同社初の日本人CAとして採用された矢飼順子さん(80)も、ショーに登場した。半世紀前、着物姿で乗務していた時の様子を振り返った。

「当時は自宅で着付けをしてから飛行機に乗り込み、寄港地のホテルに着くまで、ずっと着物姿でした。お客様からは『きれい、きれい』と喜ばれ、一緒に写真を撮りたいと頼まれることが多かった。インスタントカメラで撮影し、その場で焼き付けてお客様に渡していました」(矢飼さん)

 今でこそ、日独間は直行便が就航し、約12時間で結ばれる。61年当時は、フランクフルト→ローマ→カイロ→ダーラン→カラチ→カルカッタ(現コルカタ)→バンコク→香港→東京と、寄港地の多い路線だった。

「当時、“各駅停車”と呼んでいました。香港やバンコクに寄港すると、とても暑くて。汗びっしょりになり、お恥ずかしいような姿でした。就航は週2~3便だったので、寄港地では次のフライトまで乗務員仲間と一緒に旅行やテニス。入社してから勉強したドイツ語の上達にもつながりました。まず覚えたのは、悪い言葉でしたね(笑)」

 矢飼さんは93年に退社するまで、30年余りにわたって同社に在籍。「楽しい思い出が一杯でした。生まれ変わっても、もう一度スチュワーデスになりたい」と話した。(本誌・中川透)

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