春風亭一之輔「◯◯の秋」に苦言「魅力がアップしたような錯覚を……」
連載「ああ、それ私よく知ってます。」
落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「○○の秋」。
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『秋』はイライラする。ここ数年『秋』がくると鼓動が速くなって仕方ない。
前から思ってたけど、『秋』ってちょっとお高くとまってないか? いい気になってないか? 調子に乗ってないか? どうなんだ? 『秋』?
だいたい『春』と『秋』は、他人からひどく怒られることなどないだろう。『夏』や『冬』みたく、やれ「暑いんだよ、コノヤロウ!」だの「寒過ぎだよ、まったく!」だの、いわれのない罵声を浴びせられることは滅多にないはずだ。
「あんた、ぽかぽかしていいわねぇ」とか「なんとも涼しくてありがたいよ、キミは」とか。大した努力はしてないのに、『春』と『秋』は生まれながらのほどの良さで、みんながチヤホヤしてくれる。
特に『秋』に漂うそこはかとない気品。悔しいけどワンランク違う。悔しがっても『秋』のヤツは「そうかなぁ?……自分じゃよくわからないけど(笑)……」とかシレッと言うのだろうが。
「○○の秋」というフレーズ。「食欲」「芸術」「スポーツ」「実り」などがアタマに付きがちだが、「○○の秋」というふうに『秋』と結びつくだけで、なんだか魅力がアップしたような錯覚を起こさせる。
例えば「食欲の秋」は、(多少食べ過ぎてもこの季節は世間が許してくれるはず。だってしょうがないじゃない……いま『秋』なんだから……美味しいんだから)と、我々の甘えた感情さえも引き起こす。これはよくない。ただでさえ食べ物の美味しい時期に「食欲の秋」なんて謳うのはかなり危険過ぎだ。
いっそ「食欲の夏」にしたらどうか? 食欲のわかないクソ暑い季節にこそ、「食欲の~」を表して食欲を促すべきなんじゃなかろうか。「食欲の夏」「芸術の夏」……字面がかなり暑苦しい……ムリはあるが、いつまでも『秋』にいいようにされてる場合でもないはず。『秋』から自由になるべきなんじゃない?
