しっかりした文字や図が記された交換日記
しっかりした文字や図が記された交換日記
前橋育英・荒井直樹監督
前橋育英・荒井直樹監督

 初戦に大勝し、2回戦に進出した前橋育英。チームの結束力を生んでいるのは、監督と選手による交換日記だ。

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<長い夏にしようぜ。顔晴(がんば)れ>

 赤字で書かれた荒井直樹監督の言葉には、部員への愛情が詰まっている。「顔晴れ」の当て字は、監督なりの慈愛の表現だ。

「子どもたちが書く内容はなんでもいいんです。様式とか型もなく、その日に何を感じたか、心の内を書いてもらっています」

 1年の夏が終わると監督との“交換日記”が始まる。3年夏までの約2年間、濃密なやりとりが続く。週1回の提出で、約100回。ノートは4~5冊になる。

「部員は69人いますが、1対69ではなく1対1の69通りと考えています。何を感じたかを書くことで、振り返ったときに自分の変化に気づく。成長を感じてほしいんです。そのためのお手伝いをしています」

 ただ、野球ノートを始めた理由は別のところにあった。2002年に監督に就任し、常に頭を悩ませていることがあったという。

「子どもたちに思いが届いていないなと感じたんです。10年の春の県大会で初戦負けしたことがあって、そのときに、よりその思いを強くしました。一人ひとりに直接伝えていかなきゃいけないな、と」

 手書きのノートにこだわったのには理由がある。

「社会人野球時代(いすゞ自動車)に、お世話になっていた二宮(忠士・臨時コーチ)さんが手紙をくれたんですよ。何度もクビになりかけて、悩んでいたときだったから、すごくうれしくて。強く記憶に残っています。だから、たとえ字がきれいではなくても心をこめたメッセージには宿るものがあると思ったんです」

 始めた当初、部員のノートの中には手を抜いた雑な中身のものもあったが、真摯(しんし)に返事を書くことで変化が生じた。

「会話するときの距離感が違ってきて、信頼関係が築けてきたんです。指導とは何を言うかではなくて、誰が言うかだと思っています。真剣に一人ひとりに向き合うことで、彼らの中で感じるものがあったのかな」

 前橋育英は11年の選抜で甲子園初出場を果たし、13年には選手権初出場で初優勝を成し遂げた。現在は部員からヒントをもらうことも多い。

「子どもたちが何を考えているのか、何に悩んでいるのかを確認できるし、アドバイスできる。伝えることを目的に始めたので、逆に教えられるというのは想定していなかったですね」

 ノートの存在は部員の心にも刻まれているようだ。13年の優勝時のメンバーの一人が教育実習で母校を訪れた際、荒井監督をホロリとさせた。

「『今でもノートを見ます』って。成長だ、信頼だ、ってきれいごとを言ってるのかなと思うこともあるんです。でも、どんなに勉強ができても、仕事ができても、最後は人と人との信頼関係だと信じています。その先の人生のほうがずっと長い。だから卒業しても読み返してくれていることがうれしかった」

 荒井監督は、選手とのやりとりを楽しんでいる。

「年齢は離れていくんですが、距離はどんどん近くなっている気がしますね。子どもたちと会うのがいつも待ち遠しいんですよ。あいつらどう思ってるか知らないけど(笑)」

(構成・秦正理)

※「週刊朝日増刊甲子園2017」より