西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

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【貝原益軒 養生訓】
入門(に)曰、導引の法は、保養中の一事也。人の心は、つねに静なるべし。身はつねに動かすべし。終日安坐すれば、病生じやすし。(巻第五の10)

 益軒が養生訓のなかで、毎日、行うように勧めているのが「導引の法」です。導引とは身体をゆり動かして、気の通り道である経絡を伸び伸びさせることです。身体を押したり、なでたり、さすったりすることも含まれます。益軒は養生において、呼吸法とならんでこの導引を重視しました。

 明代の医師、李梃の著書である『編註医学入門』を引用して、導引の法は養生のひとつであると言ったうえで、人の心は常に静かであるべきだが、身体は常に動かしていた方がいい、一日中、座ってばかりいると病気になりやすい、と説いています。

 中国医学には治療医学と養生医学があり、治療は薬と鍼灸、養生は食養生と気功から成り立っています。この気功の前身が導引吐納法といわれるものです。吐納法とは呼吸法のこと。つまり、益軒が重視した導引と呼吸法を合わせると、中国医学で大事な柱のひとつである気功になります。

 導引の語源については、一説に『荘子』にある、「導気令和(気を導いて和せしめ)、引体令柔(体を引いて柔せしむ)」だといわれています。

 狩猟や農耕に明け暮れた中国古代の人々が、疲れを癒やすために伸びをしたり、下肢の筋肉を叩いてほぐしたりしたのが導引の最初です。その後、時代が下がるにつれ、道家や儒家の修行法に取り入れられたり、芸事に結びついたりして、多種多様の導引が生まれました。

 戦後の新生中国が発足した後、1950年代に、導引を体育の一環として取り上げようという動きが出てきました。それには、あまりに多種多様では扱いにくいということで、当時の北戴河気功療養院の劉貴珍氏が、「正気を養うことを主たる目的とする自己鍛錬法を気功と呼ぶことにしよう」と提案し、それが定着したということです。ですから、現在の中国では導引という言葉はあまり使われていません。

 
「朝いまだおきざる時、両足をのべ、濁気をはき出し、おきて坐し、頭を仰て、両手をくみ、向へ張出し、上に向ふべし。歯をしばしばたたき、左右の手にて、項をかはるがはるおす」(巻第五の11)で始まる導引の具体的な方法を養生訓のなかで益軒は詳しく説明しています。かなり、長々と続きますが、要点は以下のようなものです。

 うなじを押したあと、両肩を上げ、首を縮める。目をふさぎ肩を下げる。顔を両手でなで、目、鼻、耳たぶもなでる。両耳に両手の中指を入れる。両手を組み、頭を右、左に回す。手の背で左右の腰の上などをなでおろし、両手で腰を押す。両手で尻を打つ。ももひざをなでおろし、両手を組んで膝がしらの下を抱えて、引き寄せる。ふくらはぎをなでおろし、足裏の土ふまずの中心部をなでる。足の親指をひきながら、他の指をひねる。

 益軒は、動作の回数も詳しく指示しているのですが、省略します。これを毎日行えば、気がよくめぐり健康になれるというのです。よかったら、実行してみてください。

週刊朝日  2017年6月16日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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