さらに高齢の天皇の職務遂行能力を問題とする場合に「国事行為を基準とすれば、法が予定している摂政や臨時代行を活用しないことの説明がつかない。公的行為を基準とすれば憲法で位置づけられていないなか法令でそれを根拠にしてよいのかという問題がある」という。

 ためにする議論にしかみえない。結構大変なのは宮中祭祀(さいし)だ。総合的に判断すべきものでしょう。

皇室会議に退位の判断のような包括的な権能を付与するのは憲法の趣旨にかんがみ不適当」とも指摘している。しかし皇室会議を招集するのは議長である総理。三権の長も皇族議員もいる。本人と総理、国会議長、最高裁長官、宮内庁長官らが相談して総合的に判断し、必要なら国会承認も要件にすればいいのではないか。

 さらに、天皇の意思で制度改正したとなれば憲法違反の疑義が出るとしている。だが、特例法ならば憲法違反にならないとの理屈はよくわからない。ましてや一部で出ている本法に付則をつける案も制度改正だろう。

 昨年の天皇の「お気持ち」表明は、あくまで問題提起であって、それを国会、国民が議論して決めればいい。ヒアリング対象者の京都大学の大石眞教授が陳述したように、国政に関する権限を振るうということとは違い、むしろ国と国民に対する責任感から国政の中枢を退くことを問題提起しておられるので、それをも「違憲の権能発揮」というのは酷であり非礼ではないか。

 また、歴史上は譲位がむしろ通例だったこともあるとの指摘について「立憲制確立より前の事例は参考にならない」としている。「それを言っちゃあ、おしまい」だろう。皇室があること自体が立憲制以前からで、その歴史や伝統を踏まえて象徴天皇を憲法第1章に置いているのだから。

 どうも、とにかく思いつく項目をできるだけ多く並べ立てた印象だ。

 そもそも典範改正に知恵を絞る前に特例法の議論ばかり先行したこと自体が不自然だった。

 私は昨年11月のヒアリングで「天皇陛下の真摯な問題提起をあたかも1人の天皇のわがままを扱うかのように『抜け道』をつくってさっさと処理しようとしているとの印象を与えかねない」と指摘した。この点について有識者会議のメンバーからは答えが聞こえてこない。また象徴天皇のあるべき姿という基本についても、有識者会議の突っ込んだ議論はされていないように思う。「印象論だ」として論点整理にも触れられていないのかもしれないが、むしろそこが大事ではないか。天皇に近い人たちの間でも、まだこのわだかまりは解消されていないようにみえる。

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