頻繁に倒れるため、精神科を受診。ここで診断されたのが解離性障害だった。

 解離性障害があると、強いストレスなどをきっかけに、自分が自分であるという感覚が失われてしまう。ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちたり、まるでカプセルの中にいるような感覚にとらわれたりし、自分をコントロールできなくなってしまうことがある。

 医師は「ピアノが原因かもしれない」と判断し、半年間、弾くことを許可しなかった。入院中には洗剤を飲んだり手首を切ったりし、自殺未遂を繰り返した。本人は「先生がどうして私からピアノを取り上げるのかわからず、気持ちを抑えられなくて、暴れるしかなかった」と振り返る。

 いったん退院すると、「本当の地獄が始まった」(福徳さん)。夜中に近所を徘徊したり、泣きわめいて2階から飛び降りようとしたり。福徳さんが互いの腕を紐でしばって寝る夜もあった。恭子さんは、娘を抱きしめてなだめた。泣き叫ぶ声を聞いた近所の人から虐待を疑われ、警察に踏み込まれたこともあった。

 大学は2年で退学。1年以上経って、あすかさんが「ピアノを弾きたい」と言いだした。宮崎女子短期大学音楽科(当時)に長期履修生として受け入れられた。ここで人生を変えてくれる恩師、田中幸子先生に出会う。

「田中先生は、私のテクニックがなかったり手がちっちゃかったり、右足のこと(後述)もそれが悪いとは絶対言わない。『それならそれで』と全部受け入れてくれた」(あすかさん)

 先生はこうも言った。

「あなたは、あなたの音のままでとてもすてきよ」

 それまで自分を否定したり、諦めたりすることしか考えられなかったあすかさんにとって、「救いの光のような、すごくびっくりする考え方だった」。

 私は、私のままでいい──。そう気づいてから、ピアノの音色が変わった。自分の音が好きになった。

 先生との出会いが症状を安定させ、ピアノへの情熱をさらに駆り立てた。

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