06年、第12回宮日音楽コンクールに出場。学生時代によく練習していたプーランクの「3つの小品」を選んだ。

「すごく不安でした。松葉杖をついている状態だったので、『弾いたら帰ればいいね』という程度だったんです。ところが、以前の音色とはまったく違いました。聴いているうちに心が震えるんです」(恭子さん)

 結果は、グランプリ。あすかさん自身も驚いた。

「小さい頃は、コンクールに入賞するために、その曲に合った音色どおりに弾かなければと、自分を抑えて弾いていました。まねごとのピアノはつらかったです。でも、田中先生に教えてもらうようになってからは、良くても悪くても自分の『心の音』を出せるようになって、ありのままの自分でいいと思うようになりました」(あすかさん)

 解き放たれた彼女の心が聴く人の心に共鳴する。心の痛みがやさしく修復されていく。そんな音色だ。

 09年、カナダで開催された第2回国際障害者ピアノフェスティバル。銀メダルのほか、オリジナル作品賞と芸術賞のトリプル受賞をはたした。カナダ民謡をあすかさんが編曲したオリジナル曲は「舞台の神様が演奏者に乗り移った感じがする」と絶賛された。

 注目度が高まり、イベントなどに呼ばれるようになった。テレビ宮崎は、あすかさんのドキュメンタリー番組を制作。日本テレビ系「24時間テレビ」にも2年連続で出演した。29歳でソロ公演に挑戦。宮崎市の清武文化会館半九ホールは500人を超す人々で埋まり、大成功を収めた。

 発達障害に早く気がついてあげれば、解離性障害を防ぐことができたかもしれない。そんな後悔に苛まれてきた福徳さんと恭子さんは娘に謝った。あすかさんは両親にこう言った。

「悲しい気持ちや不安な気持ちと一緒にいるから、やさしい音ができ、曲も書ける。謝らないで」

 東京公演の前日、「何をどうすればプロのピアニストになるのかわからないけど、今回のコンサートがスタートになれるように頑張ります」と語ったあすかさん。終演後、ロビーには長い列が続いていた。その先には、ちっちゃい手でしっかりペンを握り、一心にサインを書き続ける彼女の姿があった。

週刊朝日 2016年12月2日号