サンミュージック50周年 タレント第1号で事務所名の由来となった森田健作 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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サンミュージック50周年 タレント第1号で事務所名の由来となった森田健作

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 芸能プロの老舗「サンミュージックプロダクション」が来年、創業50周年を迎える。

 もともと創業者の故・相澤(秀禎)氏と元専務、福田時雄名誉顧問(86)が二人三脚でサンミュージックプロダクションを設立したのは1968年11月27日。所属タレント第1号は、現在千葉県知事として活躍する森田健作だ。福田氏に少し遡ってもらおう。

「相澤も僕も、戦後に進駐軍などで演奏していたミュージシャンでした。そのころから互いに顔は知っていたんですが、63年に相澤が名古屋でバンドボーイをしていた西郷輝彦を見染めて『オーラがある』とスカウトしてマネジャーとなり、私は西郷さんのバックバンドの一員(ドラマー)になったんです」

 64年にレコードデビューをした西郷輝彦は大人気歌手となり、橋幸夫、舟木一夫と御三家としても大旋風を巻き起こした。福田氏は相澤氏に勧められ、バンドマンから西郷のマネジャーに転身。68年には西郷の事務所から離れて、相澤氏とともに新事務所を立ち上げることとなった。

「タレントを発掘するところからのスタートでした。『福ちゃん探してきなよ、俺が見てあげるから』と相澤に言われて必死で探したのですが、なかなかお眼鏡にかなわない。10人目くらいで、遂に『すごいぞ、この子でいこう!』と言わしめた。それが森田健作です」

 福田氏が森田を“見つけた”場所は、日劇(日本劇場=当時東京都千代田区有楽町)。知り合いのダンサーに「可愛い男の子知らない?」と聞くと、「いるいる!」とすぐ返事が戻った。あるダンサーの弟のルックスが抜群で、彼が楽屋に遊びに来ると「昼寝中のダンサーが彼を見て皆跳び起きた」という。福田氏はわくわくしてその青年に会いに行った。

「噂は本当でした。白いワイシャツの袖をまくって下駄を履いてカッコいい。外交官になりたくて東京外国語大学を受験したが落ちて浪人中という。最初は彼も迷っていましたが、浪人なら時間があるね、と何度かごはんでも食べようと誘いました(笑)。当時としては珍しいジャーマンベーカリーのハンバーグ、食べ物で気を引いたんです。相澤は森田の笑顔を『太陽みたい』と評し、そのイメージが事務所の名前になったんです」

 森田は強運だった。ちょうどそのとき、歌手の黛ジュン(「天使の誘惑」で68年日本レコード大賞)の大ヒット曲「夕月」の映画化が決まり(脚本=ジェームス三木、監督=田中康義)、“黛の相手役”を募集していたので森田にオーディションを受けさせると、5千人以上の中から選ばれた。その役名が森田健作。


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