佐々木蔵之介京都府出身。神戸大学在学中に劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加。1998年まで同劇団の看板俳優として活躍後、上京。2014年には歌舞伎デビューも果たす。演劇ユニット「Team申」を主宰し、若手演劇人とも積極的に交流(撮影/写真部・岸本絢)
佐々木蔵之介
京都府出身。神戸大学在学中に劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加。1998年まで同劇団の看板俳優として活躍後、上京。2014年には歌舞伎デビューも果たす。演劇ユニット「Team申」を主宰し、若手演劇人とも積極的に交流(撮影/写真部・岸本絢)

 主演でも脇でも光る野性味のある二枚目。高身長、国立大卒、実家は京都で120年続く造り酒屋……。いわゆる“ハイスペック”な独身大物俳優である佐々木蔵之介さんだが、演劇に出会うまでは、意外にもコンプレックスの塊だったという。

「兄がとても優秀だったので、そこに引け目を感じていたというのがあります。高校は京都の進学校に進んだものの、成績はめっちゃ下のほうでした(苦笑)。東京の私大に入学してからも、もう一度受験しようと思って予備校に通ったりして。いろんなところで心を閉ざしていた。それから神戸大に入って、もう受験勉強しなくてもよくなって、サークルの勧誘で演劇に出会ったんです。舞台上で、お客様に拍手をいただいたり、笑っていただけたりしたことで、何かひとつ“認められた”という感じはありました」

 人前で話すことは、もともと得意ではなかった。演劇の世界に足を踏み入れたのも、「家業を継ぐなら、もっと人前でうまく話せるようにならないと」というのが動機の一つ。

「家業を継がなかったのは、出会ってしまった演劇とその仲間との関係を“ここで終わらせたくない”と思ったからです。芝居は、僕のそれまでの人生で長く続けることができた唯一のことだった。もしかしたら、唯一の“夢中になれる遊び”であり“自己表現”だったのかもしれない。それを、中途半端に終わらせることはできなかった」

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