その一方で、「心から語り合える友だちがほしい」「ひとりぼっちが寂しい」など切実な思いを訴えた投稿欄が人気を集めた。投稿数は創刊号こそ7通だけだったが、2号は50通、3号になると100通を超え、やがて毎月1千通以上が寄せられるようになる。メールもSNSもない時代。投稿用はがきの文字数は最大130字だったが、そこにはさまざまな人生が投影されていた。

 詩を寄稿してくれたのが劇作家・寺山修司さん。歌手の美輪明宏さんは、伊藤さんが新宿などで開いていたスナック「祭」にも顔を出したという。世界的に有名なデザイナーも、後に人間国宝となった古典芸能の大家も愛読者。イケメンの日本人男性を探しにフランスからやってきた富豪もいて、伊藤さんは高級ホテルのスイートルームに招待されたという。

 誌面では隠語もふんだんに使った。体が太めで毛が濃い人は「クマ系」。そういうタイプが好きな人は「クマ専」。老けた人を好む人は「フケ専」と呼んだ。サウナや公園、映画館は「ハッテンバ」。出会い(発展)の場、という意味が込められている。「薔薇族」に対抗した「百合族」という造語も生まれた。レズビアンの意味である。

 直木賞作家の故・胡桃沢耕史さんは誌面にこんな思い出を書いた。

「僕自身は、この趣味や性癖は根本的には理解できないのだが、作家としてはそうはいっていられない。ホテル、スナック、サウナ、この雑誌の同好者が行く所には、できるだけ取材にとび出すことにしていた。決して楽しい取材ではなかったが、苦痛の中に汲みとったものの中には、やはりそれだけの大きな価値がある」

「薔薇族」はエイズ問題へも積極的に取り組んだ。予防のキャンペーン記事を掲載する一方、感染への不安に駆られている読者を募り、大学病院の協力で100人を検査。5人の感染者が見つかった。米国の有名大学の教授が「同性愛を研究したい」とまとめ買いをしたこともあった。

 伊藤さんに対する強い批判もあった。「お前は(同性愛に対して興味がない)ノンケのくせに、俺たちの気持ちが本当に分かるのか」というのである。

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