「鬼の仮面をつけた神様」…蜷川幸雄さんに俳優陣から悲しみの声 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「鬼の仮面をつけた神様」…蜷川幸雄さんに俳優陣から悲しみの声

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蜷川さんは12日、肺炎による多臓器不全のため亡くなった。享年80 (c)朝日新聞社

蜷川さんは12日、肺炎による多臓器不全のため亡くなった。享年80 (c)朝日新聞社

 口癖は「枯れた老人にはならない」だった。

 昨年8月の舞台「青い種子は太陽のなかにある」の公開稽古の日、酸素吸入用チューブを装着し、車椅子姿ながら、演出に一切の妥協はなかった。主演の亀梨和也に、「あと5センチ、ウエストを縮めて」と細かな注文をつけた。

 この2月には、自らの半生を描く、「蜷の綿」を演出することになっていた。作者の藤田貴大さんは、最後に会ったときも「50歳下のぼくに、丁寧に、細かく伝えようとしてくれた」と明かす。その気力は、周囲に不死身と思わせた。

 蜷川さんは1935年、埼玉県川口市で洋服屋を営む両親のもとに生まれた。母からは芝居や音楽を、父からは絵画を通し、芸術を敬愛する心を育まれた。東京芸大受験に失敗し、劇団青俳研究生となり、俳優として演劇人生をスタートする。俳優に限界を感じて劇団内で演出家への転身を図るものの、「名優でないものが演出をやっても説得力がない」と一蹴されて、青俳を退団。68年に蟹江敬三、石橋蓮司らと「現代人劇場」を結成し、翌年、清水邦夫作「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。鋭い体制批判で前衛演劇の旗手に。

 その後は商業演劇も手がけ、とくに「近松心中物語」は太地喜和子、平幹二朗の主演、森進一の歌という異色の取り合わせで、演劇ファンの度肝を抜いた。

 このころから、日本で最初の「客を呼べるスター演出家」と言われ、また海外公演でも成功をおさめる。

 近年は、若手を積極的に起用、抜擢された俳優たちは演技派へと脱皮していった。藤原竜也が「身毒丸」に出演したのは15歳のときだ。以来、蜷川芝居に欠かせない存在となる。亡くなる前日にも病室を見舞ったという藤原。「僕を産んでくれたのは蜷川さんです」。訃報に際し、絞り出すようにコメントを発表した。


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