小沢一郎衆院議員「オヤジ(田中角栄)は天才に決まっている」 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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小沢一郎衆院議員「オヤジ(田中角栄)は天才に決まっている」

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衆院議員小沢一郎おざわ・いちろう/慶応大学卒。69年に衆院議員初当選。旧田中派に所属し、自治大臣、自民党幹事長、民主党代表などの要職を歴任し、現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表(撮影/写真部・松永卓也)

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小沢一郎

おざわ・いちろう/慶応大学卒。69年に衆院議員初当選。旧田中派に所属し、自治大臣、自民党幹事長、民主党代表などの要職を歴任し、現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表(撮影/写真部・松永卓也)

 僕はオヤジの事務所には用がなくても、しょっちゅう立ち寄り、入りびたっていた。オヤジに会えるかもしれないと思ったからだ。

 事務所ではオヤジとよく将棋や碁をやったもんだ。でも、オヤジはへぼ将棋で、すぐ「待った」をかけるし、将棋はぜんぜん「決断と実行」の人じゃなかった(笑)。世間ではオヤジは豪放磊落(らいらく)ということになっているだろ。しかし、オヤジは豪快な言動の裏で、気づかいの細やかな人だった。年寄りにも、僕にも、子分にも丁寧に気をつかって、並大抵の気配りではない。リーダーというのは繊細な心の持ち主でないとやれないということを教えられた。オヤジと最後に会ったのは1985年で、竹下登さん(元首相)を会長に据えた、田中派の勉強会「創政会」を旗揚げして少ししてからだった。僕と梶山静六さんと羽田孜さんの3人がオヤジに目白邸に呼ばれてね。当時、僕たちはオヤジをつぶそうと思って「創政会」を作ったわけじゃない。田中先生が親分で文句はないけど、誰か派閥を継ぐ者を作らないと、このままでは派閥が持たないという心境だった。その後にオヤジに呼ばれて、みんなでオヤジと夜、酒を飲み、オヤジの誤解も解けたようだった。だけど、「創政会」の旗揚げから20日後、オヤジは脳梗塞で倒れてしまった。それからは一度も会えなかった。4年間、国会にも登院せず、姿を見せなくなった。亡くなるまでに目白邸で会えたのは、中国の江沢民氏くらいだろう。そういうところは中国人は偉い。日本人なんか、すぐ恩を忘れちゃう。あの時代はなんだかんだ言ったって、バイタリティーとドラマがあった。今はもう全然、田舎芝居にもならんね、今の政界なんか。

 オヤジの最大の政治的功績は、「日本列島改造論」だったと思う。自民党の古き良き時代、そして日本にとっては右肩上がりの高度成長の時代の考え方だったわけだ。オヤジは日本の高度成長期を牽引した政治家の一人。いい時代だった。もう一つの功績は日中国交正常化。あれもオヤジでなきゃできなかった。

 オヤジが逮捕されたロッキード事件というのは世にも不思議な事件なんだよ。刑事裁判なのに、ロッキード社の役員に罪に問われることはないという「免責特権」を与えて、供述させたわけだ。こんなことができるんなら、時の権力に目をつけられた人はみんな罪人にされちゃう。いわば、日本の司法の自殺行為だった。ロッキード事件がなければ、オヤジはもっと長生きしただろう。しかし、あくまであの時代が必要とした政治家、それが田中角栄という存在だったのだ。(構成 本誌・上田耕司)

週刊朝日 2016年4月15日号


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