追悼中村梅之助さん「意思疎通はうまくいかなかったけれど…」梅雀が語る“父の愛” (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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追悼中村梅之助さん「意思疎通はうまくいかなかったけれど…」梅雀が語る“父の愛”

父の肩車で見た、ゾウのはな子、サル山…(※イメージ)

父の肩車で見た、ゾウのはな子、サル山…(※イメージ)

 若いころから地方巡演などで家を空けることが多く、たまに帰ってくると酒を飲んで酔っ払う。そんな父でした。井の頭自然文化園(東京・吉祥寺)にはよく連れていってくれました。父の肩車で見た、ゾウのはな子、テナガザル、サル山……。今も思い出しますね。

 父の口から「役者になれ」と言われたことは一度もありません。私も、逃げていた。でも、息子を役者にするのは家の大前提で、使命と感じていたようです。

 小さいころ、私はひ弱だったので、しっかりした男に育てなければと父は焦っていたようです。海水浴では砂利道を裸足で歩かせ、泣き叫ぶ幼い私に「泳げ!」。父と母は脇でボートに乗っているんですから、まったくひどい思い出です(笑)。

 映画はテレビ放映でよく一緒に見ましたね。西部劇が好きで、「シェーンは24回、駅馬車は18回見た」と口癖のように言っていました。

 私が高校に入り、音楽に夢中になっていたころ、父は「遠山の金さん」の撮影で京都に3年7カ月滞在。たまに家に帰ると、私は大音量で音楽を聴いている。第一声は「ただいま」ではなく、「なんだその音は!」。今思うと、父も私の扱いに困っていたんでしょう。反抗期ですし、自分より祖父(前進座創設者の一人、中村翫右衛門【かんえもん】)を尊敬しているようだし、一体こいつは何を考えているのか──と。

 だから、父が望む道に進むと伝えたときは意外だったようで、「役者、やるのか」と、うれしそうでした。「大変だぞ」とも。


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