小説や漫画など、今でも数々の作品の題材になる人気武将・織田信長だが、その一族の生き様も面白い。『信長の肖像』の著者・志野靖史氏は、織田家18代当主・織田信孝氏、信長の弟・有楽斎(長益)から続く有楽斎家16代当主・裕美子氏と、彼らの魅力を語った。
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信孝:70年頃に辻邦生さんが『安土往還記』を書かれた。やはり狂言回しを通じた信長が描かれ、当時としては斬新でした。
志野:その頃から創作側の手法が少しずつ変わってきているかもしれませんね。
信孝:像の変容は時代の影響もありますよね。私は実は幼い頃、秀吉のほうが好きだった。ゼロからスタートし天下を取る姿に、平凡な自分を投影しやすかったんです。それはまさに努力すれば何とかなるという時代の、一つの象徴だったのではないですか。田中角栄が総理大臣になる時代の話ですよね。
志野:なるほど。
信孝:ただ大人になると、コツコツ努力型よりもっと直感的、芸術的な感覚で一気に世の中を変える人間に魅力を感じ始めます。それは私一人だけではなく、高度成長後の世の中全体の流れとしてあった気がするんですね。そうなると必然的に信長の人気が大きくなっていく。ところが末裔としては何かと騒がしくなってきまして(笑)。
裕美子:信孝さんはお名前から子孫とすぐ推察されて何かと大変でしょう。私の名前はすぐはわからないので。ただうちは信長の弟のほうで関ケ原では東軍について……と説明するのが心苦しいということはたまにありました。ただ有楽斎も、最近はテレビでも飛んでる人とかカブキ者とか、面白い存在として扱われるようになり、うれしいです。
志野:有楽斎も飄々として面白い方ですよね。
裕美子:彼は時代により立場が色々変わりました。兄の時代は自分も君臨したでしょうが、その後は微妙です。織田家を残したいとうまく立ち回り、茶の湯三昧に突き進み、攻め込まれないようにしています。バランス型人間でしょう。
志野:われわれは徳川治世のフィルターをかけて見ているから、有楽斎は低評価になりがちで、後世では芸術家としてだけ名前が残っていますよね。だけど過酷なあの状況下で織田家としてぎりぎり踏みとどまったというのは立派な「物語」だと僕は思いますねえ。
裕美子:織田は何とか4家、残っていますものね。うちが少し危ないかな(笑)。
信孝:うちなんかは幸いに信長の次男から続いていますけれども。でもそれほどの大大名ではないしね。織田という名は残らずとも、信長の娘たちが進んだ先も興味深いです。
志野:女系のね。
信孝:永姫は前田の家へ、冬姫は蒲生のところへ。さらに娘を通じ徳川家に織田家の血が入っている。
裕美子:犬姫とかもね。
信孝:娘だけを見てもすごいドラマがあります。