作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、社会に存在する女性嫌悪を認識することが差別をなくす一歩だという。

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 今年1月、18歳の韓国人男性がトルコで行方不明になり、後に自らISに参加したことが明らかになった。クリスチャンの家庭に育ち、アラビア語や英語が話せるわけでもない18歳の男子が、一体なぜISにはまったのか。その理由は本人しか知り得ないことだけれど、ISへの憧れが日々記されていた彼のSNSには、「フェミニストが憎い」と、ハッキリと書かれていた。

 彼の言う「フェミニスト」がどういうものか、私にはわからない。ただ、女性に教育を受けさせず、女性を支配し搾取するISへの共感と、彼のフェミニスト嫌悪は無関係ではないだろう。韓国社会では彼のこの言葉は大きく報道され、これをきっかけに「女性嫌悪」という言葉が、今年、よく語られた。

「女性嫌悪」とは読んで字のごとく、「女を女故に蔑み憎む」ことだ。残念ながら、それはまるで空気のように、私たちの社会にある。男性には見えないかもしれない。だけど女たちには、痛みを伴うようにリアルに感じられる。それは、この社会の空気そのものだ。

 例えば「僕は女性差別はしない」という男性がいる。そういう男性が「あいつは女々しい」と男友だちを批判したり、「あいつは男だ」とオトコ、という言葉に力を入れて語ったりするのは、まぁよくあることだ。

 え? これの何が問題なの? と思う方もいるかもしれない。でも、考えてみてほしい。「男」という言葉がいかに誇りに満ちた調子で語られることが多いか。「女」という言葉がいかに誇りとは無関係に使われることが多いか。

 私たちの思考を支える言葉自体が既に差別的意味をはらんでいる。1970年代、日本でウーマンリブが起きた時、今よりもずっと「女」という言葉それ自体が差別用語として使われていたという。ウーマンリブは、女自身が「私は女だ」と、堂々と言える運動だったのだと、元ウーマンリブ活動家の女性が話してくれたことがある。

 
 確かに「女」という言葉から差別的意味は薄まった。それでも完全になくなったわけではない。差別を孕んだ言葉を使う私たちの社会に、女性嫌悪は宿命のようにつきまとう。

 こういうことを言うと、必ず、もう200%必ず「気にしすぎ」「被害妄想だ」と言われるのだけれど、まずは「この社会は女性嫌悪に満ちているのだ」と認識することが、差別をなくしていく一歩だと、私は思う。

 なぜなら、差別とは、誰にとっても見えるものではないから。それは社会秩序として認識され、文化として持続され、私たちの社会の空気として、そして権力が権力を維持するために利用される。乗り越えていくのは、簡単ではない。だからこそ、「ここに差別がある」と、みんなが認めることが最初の一歩なのだ。

 そういう意味で、韓国で「この国がいかに女性差別的社会か」ということが大きく語られるようになったことは、とても意味がある。ああこの件は書きたいこといっぱい。

週刊朝日  2015年11月20日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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