真田家14代当主・真田幸俊「徳川家を敵に回した代償」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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真田家14代当主・真田幸俊「徳川家を敵に回した代償」

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真田家の「静かな戦い」は今でも続いているという(写真は上田城)

真田家の「静かな戦い」は今でも続いているという(写真は上田城)

 真田幸村の兄であり、戦国時代の武将・真田信之。その子孫である真田家14代当主・真田幸俊(ゆきとし)さんは、真田家の「静かな戦い」は今でも続いているという。

*  *  *
 松代藩初代「信之」の名は一般の方が考えているよりも長野・松代では響くものがある。それは単に弟の幸村(信繁)と相対したというだけではなく、家名存続のために藩政に身を捧げ、齢93まで静かに戦い続けたその執念を感じるからであろう。

 周知のように関ケ原で徳川方に味方した信之は上田(および沼田)を治める大名になった。しかし、弟、幸村が大坂の陣でその武名を轟かせるとは思ってもいなかったろう。

 関ケ原のあと信之の助命嘆願によって辛うじて命を救ったのに、である。

 第1次・第2次上田合戦に続き3度までも徳川家を慌てさせた代償は、信之の治政に重くのしかかることになった。妻小松姫(徳川随一の猛将・本多忠勝の娘)の没後、上田から松代への転封を命ぜられしぶしぶ従った。また3代幸道がわずか2歳で家督を相続した際には、血判状まで作って幕府に対して藩の意思を貫くことになった。とても93歳の時のまつりごととは思えない話である。信之以降も松代藩は幕府から多くの貢献を求められ、その命令に耐えた。

 幕府から命ぜられたものの一つが善光寺外護職であった。元禄13(1700)年の落雷で本堂が焼失したあと、真田家は幕府からその再建を命ぜられた。

 7年の歳月を経て現在の本堂は再建されている。

 以来数えで7年に一度、松代から御開帳に合わせて回向柱を寄進・奉納している。この行事は真田家伝統の公式行事として今でも大切にしている。


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