藤井裕久・元財務相 目の当たりにした東京大空襲の悲惨さ語る (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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藤井裕久・元財務相 目の当たりにした東京大空襲の悲惨さ語る

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元財務相藤井裕久(83)ふじい・ひろひさ/1932年、東京生まれ。東大卒、大蔵省入省。佐藤栄作、田中角栄両内閣で官房長官秘書官を務める。77年、参院議員に初当選、90年衆院に。細川、羽田内閣で蔵相、鳩山内閣で財務相などを歴任。2012年に政界引退(撮影/関口達朗)

元財務相
藤井裕久(83)
ふじい・ひろひさ/1932年、東京生まれ。東大卒、大蔵省入省。佐藤栄作、田中角栄両内閣で官房長官秘書官を務める。77年、参院議員に初当選、90年衆院に。細川、羽田内閣で蔵相、鳩山内閣で財務相などを歴任。2012年に政界引退(撮影/関口達朗)

 今年は戦争終結から70年の節目を迎える。戦争を経験した元財務相の藤井裕久氏(83)は、戦中体験と復興の記憶をこう語る。

*  *  *
 忘れられない記憶があります。昭和19年8月から翌春まで、小学生だった私は東京・小平に学童疎開していました。ある日、米軍のB29が飛来し、日本の戦闘機と激しい撃ち合いになりました。戦闘機は最後にB29に体当たりし、ともに火を噴きながら墜落。

 すぐさま友人と墜落現場に向かいました。米軍は食料を大量に持っていると聞いていたので、探すためです。とにかく毎日、空腹でしたから。ビスケットぐらいはあるんじゃないかと、期待しました。

 でも現場には、米兵の無残な遺体が横たわっていました。8体ぐらいだったと思います。手や足、胴体がバラバラ。女性の通信士も乗っていたのか、赤いマニキュアの指もありました。惨状を目の当たりにして「戦争には勝者も敗者もない。国民に犠牲が出るんだ」と強く思いました。

 疎開先から戻ったのが20年3月10日午前。ちょうど9時間前に、激しい空襲がありました。幸い母親が迎えに来てくれましたが、親が来られなかった友人も多かったです。自宅ちかくの湯島の坂には、たくさんの死体が横たわっていました。火傷を負いながらも何とか逃げ、そこで息絶えた人たち。悲惨な光景でした。

 東京にはその後も激しい空襲があり、「今晩いよいよ死ぬんだな」と、防空壕の中でガタガタ震えていました。8月15日に終戦を伝える玉音放送を聞いたときは、「これで夜、眠れる」と正直ホッとしました。


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