※イメージ写真
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 ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』でもおなじみの角野卓造さん。60代も半ばを過ぎ、ぼちぼち、舞台の“引き時”について考えるという。角野さんが出演する舞台は、東京で上演されたあと、何年もかけて全国を回ることが多い。それは、多くの劇団にとって、旅公演が大切な収入源となっているからだ。2年前、東京ヴォードヴィルショーの佐藤B作さんから、「『創立40周年記念興行』の新作舞台に客演してもらえないか」と打診されたときは、「旅公演が決まるのなら、どこまででも付き合うよ」と二つ返事で引き受けた。

「僕が所属する文学座も、杉村春子さんの時代から、『売れる芝居』を作って全国を回ることで、劇団を維持してきました。僕は、高校、大学と学生演劇を7年やってきましたけど、それはあくまで趣味で、石にかじりついても役者がやりたい、というタイプではなかったんです。ただ、俳優で食えるようになりたかった」

 就職適性検査を受けるつもりで文学座を受け、10年は丁稚奉公を覚悟していたら、73年に、つかこうへいさんの「熱海殺人事件」に出演することができた。

「まだ、つかさんが有名になる前の話です。それからも運良く仕事が途切れることはなかったんですが、劇団を辞めて独立するという発想は一切なかったですね。僕は、文学座のアトリエで育ててもらったと思っているので……。ただ、映像の仕事はともかく、芝居は一旦引き受けたら4~5年は旅で全国を回ることを覚悟しなきゃならない。だから、ヴォードヴィルショーの『田茂神家の一族』以降、舞台のオファーは受けていません。舞台は、やり直しのきかない世界。ショー・マスト・ゴー・オンですから。誰も、『ぼちぼち引き時じゃないですか?』なんて言ってくれない分、自分で決めないと」

 つまり、この舞台が角野さんの演劇生活を締めくくるものになるのかもしれない。「まだ、わからないですけどね」と話す姿は飄々としているが、発言にはぴりっとした鋭さがあり、テンポや滑舌の良さも加わって、会話がまるで芝居のように、淀みなく進んでいく。比較的真面目な話をしていても、雰囲気か言葉尻、どこかにユーモアが混ざる感じが独特だ。

「芝居ってのはあくまでも楽しむことだと僕はずっと思い続けています。暗くて重い芝居より喜劇のほうが好きだし、メッセージなんかなくても、最終的には人間が見えれば、それでいいと思う。笑いっていうのは、体をぶん投げることで、お客さんと一体になれる一番の武器ですから」

 芝居の面白さについて訊くと、「自分の知らない面を気づかせてくれることかもしれないですね」とぽつり。

「役のオファーが来たとき、『俺、こんな人間じゃないのに、こんなふうに思われてるんだ』みたいに、自分が思う自分とズレがあることが結構あるんです。だから、演じるって、自分を掘っていく作業なのかな。掘っても掘ってもきりがないんだけど」

週刊朝日 2015年3月6日号