ドラマ評論家の成馬零一氏は、俳優・山田孝之のドキュメンタリードラマを見て、山田自身の不安定な内面が気になったという。

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 俳優・山田孝之を最初に意識したのは、NHKで放送されていたドラマ『六番目の小夜子』だったと思う。

 本作は鈴木杏と栗山千明が主演を務めた学園ドラマで、山田は繊細な美少年・関根秋(しゅう)を演じていた。

 その後、連続テレビ小説『ちゅらさん』(NHK)で姉のえりぃ(国仲涼子)を支える弟の恵達(けいたつ)を好演したことで、人気は全国区となり、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『白夜行』(ともにTBS系)などのドラマで主演を務めるまでになる。

 しかし、映画『クローズZERO』で強面(こわもて)の不良を演じて以降、俳優としての山田は徐々に変わっていく。

 大きな転機は『闇金ウシジマくん』(MBS・TBS系)で闇金会社の社長・丑嶋馨(うしじまかおる)を演じたことだろう。もはや美少年の面影はなく、据わった目と顎ひげは凄みを感じさせた。

 その後の山田は、作品ごとにイメージが変わる掴みどころがない俳優となっていく。その姿はどこか不気味で、一体何を考えているのだろうと、ずっと気になっていた。そんな時にはじまったのが、『山田孝之の東京都北区赤羽』(テレビ東京系)というドキュメンタリードラマだ。

 物語は山田が出演する映画『己斬り』の撮影場面からはじまる。

『己斬り』は山下敦弘が監督を務める時代劇。撮影は終盤の山田演じる侍が刀を首に当てて自害する場面。しかし山田は偽物の刀では死ねないから真剣を持ってきてくれ、と言い出す。

 やがて山田は演技を中断し、映画は撮影中止となってしまう。

 
 山田は、演技ができなかった理由について、今までの自分は、自分らしく生きないように生きてきた。自分の軸を作らないことで、いろんな役を演じてきたが、その結果、役と自分の境目がわからなくなって、役を切り離せなくなってしまった、と語る。スランプとなった山田は、監督の山下に清野とおるのマンガ『ウヒョッ!東京都北区赤羽』(双葉社)を差し出し、作中に登場する人々のように「自分の軸を作る」ために赤羽に引っ越すと言い、山下は山田を密着撮影することになる。

 監督は山下敦弘と松江哲明。

『リンダ リンダ リンダ』や『苦役列車』等の山下敦弘の映画には、オフビートな笑いがちりばめられており、脱力的な空気が流れている。

 一方、松江哲明は『童貞。をプロデュース』や『ライブテープ』等のドキュメンタリー映画の名手として高い評価を受けている。どちらも90年代のドキュメンタリー調AVの作風に強い影響を受けている監督だ。

 山田が差し出した、本作のベースとなっているマンガは、作者の清野が暮らす赤羽で起こる面白い出来事やおかしな住人との交流を描いたエッセイ風のノンフィクションマンガだ。

 そのため、番組を見る前は、『ブラタモリ』(NHK)のような、赤羽という町のローカルな豆知識を楽しむような小品になるかと思っていたのだが、赤羽で暮らす愉快な住人よりも、山田の不安定な内面の方が気になる問題作となっている。

 正直、どこまで本当なのかは疑わしく、そもそも、本作が提唱するドキュメンタリードラマという言葉自体がドキュメンタリー(ノンフィクション)+ドラマ(フィクション)という矛盾したものだ。しかし、その虚実の間を行く危うい綱渡りこそが最大の魅力なのだろう。

 この作品が終わった時に、ほんの少しでもいいので山田孝之のことが理解できたら、と思う。

週刊朝日 2015年1月30日号