家族の病気を通して「口から食べることの大切さ」を痛感し、多くの人に伝えようと活動をしている歯科医師がいる。

 2000年7月、当時福岡歯科大学病院に勤務していた塚本末廣歯科医師は、神戸市に住む妻の母、呉本秀子さん(当時68歳)が倒れ、市内の病院に救急搬送されたと知らせを受けた。

「急性心筋梗塞および脳梗塞」と診断された秀子さんだが、いったんは回復。しかし9月になると血尿や発熱が続くようになり、だんだん弱っていった。

 11月に塚本歯科医師が見舞うとベッドに寝たきりで、熱が続いているせいか目もうつろ。

「さらに病院からは、腎がんの可能性、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に感染、敗血症を起こしている、といったネガティブな検査結果が次々伝えられていて、これはもう死ぬんじゃないかと感じました」と、塚本歯科医師は振り返る。

 歯科医師として何より気になったのは、入院以来ずっと栄養を流し込むIVH(中心静脈栄養)のカテーテル(管)が血管内に留置され、口からは何も食べていなかったことだ。食べられないからIVHを装着しているはずなのに、なぜか薬は口からのんでいる。

「食べさせていないだけで、本当は食べることができるんじゃないか」

 そんな疑問が湧き上がった。とはいえ、何カ月も使っていない秀子さんの口の中はパリパリに乾燥し、口腔カンジダ症になっていた。免疫力が落ちたために、常在真菌のカンジダが異常に増殖した状態だ。

 
 しかし、塚本歯科医師は大学病院に障害者歯科を立ち上げた経験から、「口腔ケアをすれば食べられるようになる」と確信した。そこで12月初旬、秀子さんを福岡市内のリハビリテーション病院へ転院させた。自ら通って秀子さんのケアができると考えたからだ。

 転院してから秀子さんの容体は劇的に好転する。きっかけは、前の病院でずっと入れられていたIVHや尿を出すためのカテーテル、薬剤を投与する動脈内カテーテルをすべて抜いたこと。しつこく続いていた熱がスッと下がったのだ。

「抜いたカテーテルの先端、つまりからだの中に入っている部分にびっしりついていたバイオフィルム(細菌のかたまり)を検査してみたら、どれからもカンジダが検出されました。感染源のカテーテルを入れっぱなしにしていたら、発熱が続くのは当たり前です」(塚本歯科医師)

 熱が下がって楽になった秀子さんは、翌日からペースト食を食べられるようになった。同時に口の中をきれいにする口腔ケアや、合わなくなっていた部分入れ歯を調整し、かむためのリハビリもスタートした。ほどなく粗めの刻み食へステップアップ。「食べる」という喜びを得たことで秀子さんは、リハビリにも積極的に取り組んで、みるみる回復した。年が明けた1月末には、元気に歩いて退院。その翌月には、海外旅行に行くまでになった。

 その経過を追った画像や写真を見せてもらった。回復ぶりもさることながら、かめるようになってからは別人のように明るい笑顔ばかりだった。秀子さんは、その後穏やかに生活し、退院の10年後に別の病気で亡くなったという。

「IVHのように口や腸管を使わずに栄養補給する方法が長引けば、かむ、のみ込むといった口の機能が衰えるだけでなく、全身状態まで悪化させてしまいます。人間らしく、幸せに生きるためには口から食べることが基本だということを、心に留めておいてほしいと思います」

週刊朝日 2014年7月11日号より抜粋