野村信託銀行眞保(鳥海)智絵社長しんぼ・ちえ/1965年11月16日生まれ。89年、早稲田大学法学部卒業。同年、野村証券(現野村ホールディングス<HD>)入社。96年、米スタンフォード大学経営大学院卒業(MBA)。資本市場部やエクイティ部、秘書室などを経て、2010年6月に野村HDの経営企画部長に就任。12年から執行役員を務め、14年4月から現職(撮影/写真部・工藤隆太郎)
野村信託銀行
眞保(鳥海)智絵社長

しんぼ・ちえ/1965年11月16日生まれ。89年、早稲田大学法学部卒業。同年、野村証券(現野村ホールディングス<HD>)入社。96年、米スタンフォード大学経営大学院卒業(MBA)。資本市場部やエクイティ部、秘書室などを経て、2010年6月に野村HDの経営企画部長に就任。12年から執行役員を務め、14年4月から現職(撮影/写真部・工藤隆太郎)
長友佐波子・週刊朝日編集長(撮影/写真部・工藤隆太郎)
長友佐波子・週刊朝日編集長(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 男女雇用機会均等法の成立から29年。安倍政権が「女性の活用」を打ち出す中、民間企業でもたたき上げの女性たちがようやく役員級に就任し始めた。そのフロントランナーの一人として活躍する今春、社長に就任した野村信託銀行の眞保(鳥海)智絵氏をフェリス女学院中・高(横浜市)で同級生だった本誌の長友佐波子編集長がインタビューした。

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長友:4月に野村信託銀行に移られるまではずっと野村証券でやってこられて。同期は何人くらいですか?

眞保:総合職が約300人いる中で、女性は7人でした。野村証券はいわゆる女性総合職を採用し始めたのが1988年で、私は89年入社。2期目になります。1期目の女性は5人かな。

長友:その中で今も残っているのは何人くらいですか?

眞保:私以外、全員が辞めたんですけど、同期が1人戻ってきたので、私を入れて2人です。

長友:ひとりでよく生き残りましたねえ。相当ご苦労されたんじゃないですか?

眞保:そんなに苦労してないんですよ。

長友:いやいやいや。だってすごい男社会でしょう。

眞保:みなさんそうおっしゃいますが、全然そんなことないんですよ。

長友:証券時代は株式畑?

眞保:かなり転々と異動したので、あんまり◯◯畑というのがないんですが、いちばん長いのが株式関係ですね。

長友:株式担当は、対企業の仕事だと思いますが、企業側から「なんだ女か」みたいな扱いを受けたりは?

眞保:そういう話はよく聞くんですが、私自身は経験がない。でも、もしかしたらそういうことを感じ取らない鈍感な人が生き残っているのかもしれません(笑)。

長友:そんなことはないでしょう(笑)。職歴を拝見すると、トレーダーのあと留学もして、社長秘書もして。経営企画部長になったときは女性初の部長に?

眞保:いえいえ、他の部には女性の部長も支店長もいましたから、女性初ではないです。経営企画部では女性の部長は初めてだし、社長秘書になったときも女性初ではありましたが、まあ単に会社で長くやってると、そういうこともあるという。すでに3年前には野村ホールディングスの財務統括責任者(CFO)に女性が就任しています。男社会じゃないと言いましたが、そのとき私も経営企画のトップで、財務と経営企画の担当役員が2人とも女性だった。普通、日本の会社でこういうことはまずないと思う。本当にみなさんが思われているほど保守的な会社じゃないんですよ。

週刊朝日  2014年5月9・16日号より抜粋