エリック・クラプトン、ボブ・ディランなど大物のツアー・マネージャーを務めたウドー音楽事務所副社長、高橋“TACK”辰雄氏(61)が、アーティストの知られざる素顔を語った。

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 ツアー・マネージャーの仕事は宿泊するホテルの予約、移動手段の確保、スケジュールの管理から、食事や買い物などの世話まで、実に様々。例えば、ボブ・ディランであれば、「ホテルは開閉できる窓がある部屋がいい」というリクエスト、ディープ・パープルの元ギタリストのリッチー・ブラックモアからは「ホテルから出てサッカーしたい。相手になるメンバーをそろえてほしい」という変わった頼みもあったという。

 1974年にウドー音楽事務所に入社した高橋氏は、その年に初来日公演を行ったエリック・クラプトンを担当。それ以来、クラプトンとは約40年の付き合いとなるが、来日コンサートとは直接、関わらないリクエストに応えるべく奔走した思い出が多いという。

「クラプトンが98年にリリースしたアルバム『ピルグリム』のジャケットのデザインは日本人が手がけました。その交渉などもしました。このアルバムは日本人のアニメーターを使ってジャケットを作りたいと来日中のエリックが言い出したのです。『日本人の繊細なセンスを生かし、自分のイメージ通り描いてほしい』と。それで、一緒に六本木の書店のアニメコーナーでいろいろ本を見た中で、彼は貞本義行さんの絵が気に入りました。ピルグリムは巡礼者という意味なんですけど、自分は精神的に落ち込んでいて、これから起き上がるというイメージで、水の中に頭が半分だけ入っている絵をエリックが自分でラフで描いたものを僕が預かって、それを持って貞本さんのところに行き、お願いしましたが、そりゃあ、ビックリされてました(笑)。絵のイメージを説明し、貞本さんに何パターンか描いていただき、それが採用されました」

 そんなクラプトンの急な“ムチャぶり”の中で、高橋氏が忘れられないのは、88年の日本ツアーの前に起こった出来事だ。

「10月に鈴鹿サーキットで、F1の日本グランプリが行われたのですが、エリックから突然、観に行きたいと連絡が来て、日本ツアーに先駆けて来日しました。ホテルがなかなか取れなかったんですが、どんなホテルでもいいということで、名古屋のビジネスホテルを取りました。でも、名古屋から鈴鹿まで行く手段がなかったんですよ。それで、レイトンハウス(F1のレーシングチーム)に知り合いがいたので、電話をしたら、『クラプトンの日本武道館のチケット10枚の手配と、F1の中継をしていたテレビ局にエリックの様子を撮らせてくれれば、ヘリコプターを手配する』と言われたんです。それを約束し、名古屋の市内から空港に飛び、レイトンハウスが用意した大型のヘリコプターに乗り、鈴鹿に行きました。あの時は故アイルトン・セナ(そのレースで優勝)にも会いました。F1ドライバーやスタッフが次々とエリックのところに握手を求めに寄ってきたのにはびっくりしました。その時、初めてエリックが世界的な大スターなんだと実感しましたよ」

週刊朝日  2014年2月21日号