山田管主による法話が人気の薬師寺(撮影/倉田貴志)
山田管主による法話が人気の薬師寺(撮影/倉田貴志)

 お経には人間が生きていく知恵が宿っている。般若心経が説く「空(くう)」について、 薬師寺東京別院(東京都品川区)の山田法胤(ほういん)管主(かんしゅ)に話を聞いた。

 その前に、お経とは何かを確認しておこう。一言でいえば仏教の開祖・ブッダの教えを説いた経典で、弟子や孫弟子が解説していくなかで付け加えられたり、新たに生まれたりした。このため、多くは冒頭が「如是我聞(にょぜがもん)」で始まる。「私はこう聞きました」という意味だ。種類は実に多く、込められた意味やメッセージも多彩だ。たとえばドラマ調に書かれた「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」、出家者のためだけの仏教を痛烈に批判した「維摩経(ゆいまぎょう)」、自分自身の心を見つめ直せと説く「大日経(だいにちきょう)」など。

 もとはブッダの生誕地インドで用いられたサンスクリット語で、それが暗誦によって中国に伝わる際に漢語に翻訳され、6世紀に漢語のまま日本へやってきた。だから響きだけでは、意味をとらえにくい。

 お遍路でも読経され、日本人にとって一番なじみ深い「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の一部の意味を、山田管主に解説してもらった。「色即是空」はあまりに有名な一節だが、現代語に訳しても非常に哲学的だ。そこで薬師寺は、その心得を、次のようにやさしく表現している。

 かたよらない心(こころ) こだわらない心(こころ) とらわれない心(こころ)
 ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空(くう)のこころなり

 ものの見方が違っても、否定したり嫌ったりしない。一つのものの見方にこだわってはいけない。自由にものを見てみよう。繰り返し、そう説くのが般若心経の教えだ。

「つまりは『人生いろいろ』。相手を理解しながらも、私はこう生きていくんだ、というのが大事なんです」(山田管主)

 お経には、こうした深い意味や生きる知恵が込められている。しかし、昨今、「葬式仏教」と揶揄され、形骸化を心配する人も少なくない。

週刊朝日  2013年8月9日号