法外な手術料を要求する無免許の天才外科医が、メスをふるって次々と奇跡を起こしていく――。『チーム・バチスタの栄光』などの著書もある、医師で作家の海堂尊さんに手塚治虫の傑作マンガ「ブラック・ジャック」への思いを聞いた。

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 小学校高学年のころ、「ドカベン」を読むために少年チャンピオンを立ち読みしていたら、ブラック・ジャックの連載が始まりました。当初は、なんだか暗いマンガだなと。医学というイメージはなくて、単に物語として読んでいました。一話完結ですから読みやすくて、安楽死とか、当時の年齢では理解しづらいテーマの回は読み飛ばしていました。

 初回の話は今でもよく覚えています。交通事故で瀕死の重傷を負った実業家のドラ息子を助けるために、善良な仕立屋の少年の内臓や皮膚が移植されそうになる。実際は少年の顔をドラ息子そっくりに整形して、母親とともに海外に逃がすというオチでした(「医者はどこだ!」) 。

 それからピノコ誕生(12話「畸形嚢腫(きけいのうしゅ)」)。人間の体に別の人間のパーツがバラバラに入っているなんて、単純に驚きました。医学生になって畸形嚢腫を学んだときは、おおこれかと。マンガはフィクションですから、描いてあることとはだいぶ違いました。でもそれをつなぎ合わせて人間を作るなんてSFチックで、おもしろかったですね。

 3年ほど前、テレビの企画に絡んで、ブラック・ジャックをあらためて読む機会があったんですね。おとなになって読んでみると、よくできているなと思いました。

 医者なので、どこがフィクションかわかるんですが、それが不自然になっていないところが何ともすごい。無知ゆえにあり得ない話になっているわけじゃなくて、意図して作っているから、医学的な違和感が全くなく読めるんです。

 たとえば、現実的には脳移植なんて100%あり得ない。けれども、「もし可能だとしたらこうなるよね」と納得できる。作家の目で見ても、突拍子のない話をすんなりのみ込ませるという、手塚治虫さんのストーリーテラーとしての才能は見事だと思います。

 手塚マンガの魅力は、言いたいことがスパッと頭に入ってくる、物語がくっきりしているということ。ブラック・ジャックは医療の話だとわかるし、「どろろ」は妖怪と闘う話だってすぐにわかるから、強く印象に残ります。それに40年の月日がたっても、「ブラック・ジャック」という言葉だけでキャラクターのイメージを思い起こさせるのはたいしたもの。ひとつひとつのストーリーは覚えていなくても、つぎはぎだらけの顔や黒いコートでトランクを持った姿かたち、クールな無免許医というキャラクターを鮮やかに思い出すことができる人は多いでしょう。

 でも、手塚さんは時代の一歩二歩先を描く人だから、今みたいに医療マンガが多い時代だったら、きっとブラック・ジャックは描いていないと思いますよ。

週刊朝日 2013年4月26日号