昨年3月11日の福島原発事故を機に、「脱原発」の道を踏み出したドイツから日本は何を学ぶことができるだろうか。ドイツ南西部バーデン・ヴュルテンベルク州の環境都市フライブルクの成り立ちをジャーナリストの邨野継雄氏がレポートする。

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 州都シュツットガルトからスイス国境に広がる「黒い森」――シュヴァルツヴァルトの南西部に位置し、ライン川を挟んですぐ西にフランス、南にスイスとの国境を控えたフライブルクは、古くから交通の要衝として栄えた町である。

 中世の面影を色濃く残す、人口20万人ほどのこの町が、世界有数の“環境都市”に至った要因は、40年ほど前にともに起きた、自然の変化と人為的な事象にある。

 1970年代の初め、市街地と接する黒い森の木々に、幹や枝が白く立ち枯れる現象が目立ち始めた。ライン川対岸のフランス、そして国境を接するスイスの両工業地帯、さらに森を取り囲むように縦横に走るアウトバーン、それらが排出する大気汚染物質が酸性雨や酸性霧となって森を襲ったのだ。

 森の恩恵を受けてきたフライブルク市民の対応は、冷静かつ迅速だった。大気汚染の原因を、単に工業地帯やその排出物に求めるのではなく、まず市民自身が環境を汚さないという立場をとったのだ。

 72年には市内に自転車専用道路を設けて乗用車の利用抑制を促し、同時にトラム(市電)網の拡大を図り、公共交通機関の積極利用を訴えた。翌73年には旧市内に交通規制を敷き、商用車や住人以外の車の乗り入れを厳しく制限し、速度も時速30キロまでとした。郊外の住民のためには、市街への入り口近くに大型の駐車場を設置し、そこから拡充された公共交通機関に乗り換えることを激励した。フライブルクの“エコシティー”への第一歩だった。

週刊朝日 2012年10月19日号