画家の安野光雅氏は、作家の井上ひさし氏とこれまでさまざまな仕事をしてきた。井上氏は筆が遅かったそうだが、周囲はしょうがないとあきらめ、作家の司馬遼太郎氏も「遅れてもいいんだよ」と話していたという。当時のエピソードを明かした。

*  *  *

 井上ひさしさんとわたしは、選集『ちくま文学の森』や著書の装丁など、いろんな仕事をしてきたが、思い出深いのは芝居のポスターを描いたことだった。井上さんは「遅筆堂」と自称するほかないほど、原稿の完成に時間がかかった。娘の麻失さんに言わせると、「書き始めると早いのだが、それまでに時間がかかった」。芝居は劇場と出演役者を確保しなければならないから、予定が延びると大変なことになる。

 そんな恐れが事実になったこともある。すると、賠償をしなくてはならない。あるときは新橋演舞場の担当者から、「井上ひさしさんに早く書くように口添えしてくれませんか」と頼まれたこともある。「なにしろ、1日1億円ですから」と言う。わたしもポスターを描いた手前、予定どおりに開演してもらいたいのだが、そう簡単にいかないのが井上さんだ。ときには、タイトルや脚本の内容が「大幅に変わったから、ポスターを描き直してくれないか」という電話がかかってきたこともあった。また「パズル」という芝居のように、最後まで脚本が完成せずにお蔵入りになった作品もある。ポスターはできていた。

「締め切りをすぎて原稿をもらうと、編集者はいっそう喜ぶけど、まちがってやしないか」と言うと司馬遼太郎さんは、

「井上さんのことが言いたいんだろうけど、彼は日本で一番いい人なんだから、遅れてもいいんだよ」

 と答えられた。周りの関係者も、「井上さんではしょうがない」と、あきらめの気持ちになるようだった。

※週刊朝日 2012年7月27日号