オウム真理教が起こした数々の事件の中でも、特に残虐極まりない、凶悪な犯行が、坂本堤弁護士一家殺人事件だ。1989年11月4日、横浜法律事務所に勤めていた坂本堤(つつみ)弁護士(当時33)、その妻・都子(さとこ)さん(同29)、長男・龍彦ちゃん(同1)が惨殺された。

 その半年ほど前から、坂本弁護士は、教団と"敵対"するようになっていた。教団の出家信徒の親から脱会の相談を受け、教団を相手どった訴訟を準備していたからだ。同年6月には、教団に対し、出家信者の親元への帰宅や親との面会を求め、「オウム真理教被害対策弁護団」を結成した。10月には「オウム真理教被害者の会(現在はオウム真理教家族の会)」を結成するなど、対立の構図は強まっていった。

 教団幹部の上祐史浩らは10月31日、横浜法律事務所へ出向き、

「信仰の自由がある」

 と抗議した。が、坂本弁護士は、

「人を不幸にする自由はない」「徹底的にやる」

 と一歩もひかず、毅然とした態度を貫いた。

 慌てたのは教団の側だった。麻原は放っておくと教団にとって大きな障害になると考え、

「(坂本弁護士を)ポアしなければならない」

 と殺害指令を出したのだ。

 11月4日午前3時ごろ、実行犯の6人は行動を開始した。足音を殺して坂本弁護士の自宅アパート2階の部屋に入ると、坂本弁護士、都子さん、龍彦ちゃんが川の字になって眠っていた。実行犯の端本悟は空手の正拳で坂本弁護士を数回突き、都子さんをひざで打ちつけた。泣き出した龍彦ちゃんは、中川智正がタオルケットを使って口と鼻を押さえた。

「子どもはやめて」

 と叫ぶ都子さんの首を早川紀代秀と村井秀夫、最終的には中川が締め、殺害した。

※週刊朝日緊急増刊 オウム全記録


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