かつて「ナンシー関vs.デーブ・スペクター」論争があった (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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かつて「ナンシー関vs.デーブ・スペクター」論争があった

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 コラムニスト・ナンシー関氏の死去から、この6月12日で10年になる。彼女は生前、デーブ・スペクター氏と週刊誌の連載コラム上で激しい論争を繰り広げていた。(文・ジャーナリスト横田増生)

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 ナンシー関とデーブ・スペクター(58)との間で、論争が起こったのは1994年春のことだった。

 口火を切ったのはナンシーだった。「週刊朝日」の連載コラム「小耳にはさもう」(同年3月25日号)で、デーブへの怒りを爆発させた。

 ナンシーはコラムの中で、怒りの発端はテレビでの"大槻教授発言"(=大槻義彦・早稲田大学名誉教授)ではなく、デーブが連載する「週刊文春」のコラムで、アメリカのコメディアンで司会者のデビッド・レターマンを称賛し、「アメリカの笑いを日本に輸入するのはほぼ絶望的」などと「日米の笑い」について論じた文章が原因だった――と書いている。レターマンは、日本でいえば、当時のビートたけしやタモリなど、アメリカのお笑い界の大御所といったところだ。

 ナンシーはテレビが好きで、中でもお笑いを最も愛した。反対に、安直な駄ジャレを嫌い、それ以上にアメリカのお笑いが日本のお笑いより優れているという単純な考え方を嫌悪した。


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