音楽評論家・湯川れい子も取材困難だったビートルズの熱狂

 1966年6月、日本に一大旋風を巻き起こしたビートルズの来日。音楽評論家の湯川れい子さんは、来日公演を主催した読売新聞社の特集雑誌の編集キャップだったが、その彼女をもってしても取材は困難だった。湯川さんが体験した熱狂の様子を、音楽ライターの和田静香さんは次のように書いている。

*  *  *
 ビートルズは6月30日~7月2日の3日間、日本武道館で計5回の公演を行った。そのたった5回の公演に、日本は上を下への大騒ぎをした。

 警視庁は来日10日前に「ビートルズ対策会議」を開き、機動隊を含む3万5千人(!)を動員することを決定。当時の新聞には「準五輪なみの対策」とあるが、羽田空港には検問所が設けられ、空港バス乗り場には警官が立ち会い、水上ランチを出動させて海上から空港への侵入も防ぐという、異常な警備態勢を敷いた。

 湯川が週刊読売から「ビートルズ来日特集号」の編集キャップを依頼されたのは、来日が大々的に新聞発表された4月27日直後のことだった。読売新聞社が公演の主催者だったため、「これで苦労せずにビートルズに会える!」と喜んだ。

 だが、これが誤算だらけだった。

 ビートルズが来日したのは6月29日午前3時40分。台風4号の影響で到着が遅れ、空港で何時間も待ち続けたのに、あの有名な、JALの法被を着た4人が飛行機から降りてくる場面になぞ、まったく近づくことはできなかった。

「滑走路の取材許可証がなければダメです」

 警備にあたる警官はその一点張り。

「主催者の読売新聞です」と声を荒らげても、聞き入れてもらえる余地はなかった。

 空撮をしようとヘリを1機飛ばし、カメラマンを首都高の料金所に潜ませ、車でも追いかけさせたが、ビートルズはタラップに横付けされたキャデラックに乗り込むと、前後5台のパトカーに先導されて首都高を疾走していった。編集チームはたった1枚の写真さえ撮れなかった。

週刊朝日 2011年5月4・11日合併号

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