酒井法子『贖罪』は命がけの変化球 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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酒井法子『贖罪』は命がけの変化球

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 のりピーこと酒井法子氏の『贖罪』を私は優れた当事者手記であると高く評価している。本書に対しては、「反省が足りない」、「贖罪というならば印税を寄付しろ」という類の非難が多い。また、「朝日新聞系の出版社を巻き込んで芸能界にカムバックするための戦略だ」という解説をする人もいる。そういう人たちがほんとうにこの本を読んだ上で批評していると私には思えないのである。

 むしろ、芸能人の懺悔本にありがちな「過剰な反省」から免れているから『贖罪』はノンフィクションとして優れているのだ。

 覚醒剤事件の当事者となり、メディアスクラムの対象となり、また、逮捕、勾留された経験を酒井氏が正直かつ出来る限り正確な記録に残そうとしている。周囲からは、もっと深く反省している姿勢を示した方がよいという助言が酒井氏に寄せられたと思う。しかし、酒井氏はそのような周囲の声に流されず、自分の意思を貫いたと私は見ている。

 なぜあの覚醒剤事件が日本全体を震撼させたのかについて、警察官の取り調べ、裁判所の判決によっても酒井氏は、理解できないし、納得できていないのだと思う。贖罪の大前提として何を自分が引き起こしてしまったかを理解しなくてはならない。そのために自分の経験を手記という形で対象化する必要があったのだ。

 酒井氏は、この本を書いた動機について、
〈自分のしてしまったことや知られたくないようなことを蒸し返すことにどんな意味があるのかと悩むこともありました。(中略)でき上がった原稿を読み返すうちに、これから更生して再出発するためにも意味のある営みだったと思えるようになりました。わたし自身が生まれ変わり、残りの人生を息子とともに生きていくためにも、転んだまま倒れているわけにはいきません。罪を償い、恩を返すためにも、立ち上がって歩き出さないといけません。わたしなりにゆっくりとしか進めないとは思いますが、まずは最初の一歩として、この本を出版しようと決めました。〉(215頁)
 と述べている。酒井氏のこの言葉はほんものだと思う。一人息子を育てながら、残りの人生を生きていくために、酒井氏は勇気を振り絞って、自分の過去を見つめ直し、それを記録に残したのだ。底意地の悪い目つきではなく、素直に『贖罪』のテキストを読めば酒井氏の真意が伝わってくる。

 酒井氏は、自分にとって都合の悪い部分を隠していない。例えば、以下の記述だ。

〈最後に薬物を使ってから、もうじき一週間になる。これから警察に出頭すれば、容疑者の妻として検査を受けるに違いない。そこで薬物の成分が検出されたら、目も当てられない。酒井法子というタレントのイメージに傷がつく。いや、タレント生命自体が終わるに違いない。マスコミで大きく取り上げられる。想像するだけで震えてしまいそうな地獄絵図が、じわっと頭の中に浮かび上がってきた。そんな事態だけは何としても避けたい。せめて薬物の成分が体内から消えてなくなるまで、黙ってやり過ごすことはできないだろうか。尿検査で薬物の成分が検出されなければ、タレントとしてのイメージダウンは最小限に抑えられる。誰に聞いたわけでもないが、一週間くらいで薬物が体内から抜けるものと思い込んでいた。長く風呂の湯に浸かり、流れる汗にも意識が及んだ。〉(30頁)

 警察官や検察官にも同じことを話したのであろう。その場合、覚醒剤使用について違法性認識を強く持ち、罪証湮滅を図ったと認定されるのが相場観だと思う。それ以外にも、客観的には覚醒剤への依存性と常習性があるにもかかわらず、それを否定する論理を常に見つけ出す姿が克明に描き出されている。これを言い訳ととらえる読者もいるであろうが、そうではない。酒井氏は、その時点での認識をできるだけ正確に再現しているのだ。このような自己正当化が間違いであることを酒井氏は認識していることが、判決に関する記述のところで明確になっている。

◆裁判官も警察も 転落物語に興奮◆

〈十一月九日、東京地方裁判所で懲役一年六カ月執行猶予三年の有罪判決を受けた。実刑になる可能性を考えて怯えていたから、執行猶予をつけてくれてありがたいと思ったのが正直な気持ちだった。薬物を使った状況については、常習性と一定の依存性があったと認められた。自分では認めたくない気持ちもあったけれど、逮捕されるまで続けてしまったことを考えたら、反論できるような立場にはない。〉(200~201頁)

 覚醒剤が禁止されているのは、覚醒剤を摂取した人の心身がぼろぼろになってしまうからではない。刑法では、自殺を犯罪として罰していないことからも明らかなように、人は自分にとって有害なことをする権利をもつ。ただし、それには他者に対して危害を加えてはいけないという前提の下でだ。覚醒剤中毒によって妄想が生じ、他者に危害を加える可能性が十分あるので、覚醒剤は厳禁されているのだ。

『贖罪』から浮かび上がってくるのは、酒井氏を担当した警察官、裁判官に覚醒剤と他者危害禁止原則に関する認識が稀薄なことだ。

 警察官も裁判官も酒井法子という「聖女の転落」物語に興奮していることが以下の記述からうかがわれる。

〈保釈の当日になると、さらに多くの署員が駆り出されていた。泣いてばかりいた最初のころに、黙ってそばにいてくれた人も挨拶に来てくれた。「こんなとこで出会ってなかったら、友だちになりたかったな」と言う女性もいれば、「外に出たらもっと大変なことが待ってると思うよ。心を引き締めて負けないようにな」と言ってくれる男の人もいた。〉(55~56頁)

 裁判官は説諭で、
〈「映画やドラマでいろんな役を演じてきたでしょうが、残念ながらこの事件も裁判も現実です」〉(201頁)
 と述べた。むしろこの裁判官がマスメディアを過剰に意識して、映画やドラマに出ている気分になっていることがうかがわれ、滑稽だ。

 酒井氏は、
〈わたしが小さいときに夢見ていたアイドルたちは、歌とか、容姿とか、女の子たちが憧れる要素を武器にして売り出し、成功を収めてきた。そういった「直球」では勝負できないから、わたしの場合には人と何か違った「変化球」でアピールするしかない。アイドルの王道とは異なる変化球を一つ、また一つと考えて投げ込んでいくことによって、ここにのりピーがいるぞという存在感を出していく。〉(110頁)
 と述べている。

 酒井氏の『贖罪』も一つの変化球なのである。しかも酒井氏はその変化球を命がけで投げている。その変化球を読み解くのが私たち論壇人の仕事と思う。

 

さとう・まさる 1960年生まれ。外務省関連の国際機関に対する背任などの罪に問われ、懲役2年6カ月執行猶予4年の有罪判決が確定、09年7月に同省職員を失職。06年の『自壊する帝国』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。ほかに『国家の罠』(同)、『獄中記』(岩波現代文庫)、『私のマルクス』(文春文庫)など


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