もちろんベートーヴェンの交響曲自体が大傑作であることに加え、大きなスケールで「よろこび」を歌い上げるため、年末にふさわしいといえます。


しかし、直接的には、12月の『第九』のチケットがよく売れるため、オーケストラにとって臨時収入が期待できることが大きな理由です。
さらに、最近では各地に『第九』を歌うアマチュア合唱団が誕生し、「第九を歌う会」の催しが増えてきたのもこの傾向に拍車をかけました。
下町の『第九』として有名な、台東区民合唱団と藝大フィルハーモニアの演奏は、今年で第35回目を数えるそう。
重ねて、なぜ12月なのでしょうか。
この曲の初演は1825年5月で、12月に直接の関連性はありません。
また、日本初演は、第一次世界大戦のドイツ人捕虜によって1918年6月に徳島の捕虜収容所で行われていて、これも12月とは無縁です。
わが国で年末に『第九』を演奏する先駆けとなったのは、1943年。
東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の奏楽堂で行われた学徒壮行音楽会といわれています。
文科系の学生が徴兵され、12月に入隊したためです。戦後の1947年12月30日には、東京音楽学校で戦没した学徒兵を追悼する演奏会を行っています。
一方、プロのオーケストラが年末に『第九』を演奏したのは、1938年に新響がドイツから招いた指揮者ローゼンシュトックのアドバイスで始めたのが最初です。
その後、新響はほぼ毎年12月に『第九』を演奏し、これが恒例化への先鞭をつけたと考えられます。
戦後、年末に新響(昭和26年からN響)が演奏する『第九』は人気となり、昭和30年頃より他のオーケストラも追随し、全国に広がっていったのです。
ベートーヴェン自筆の第九の楽譜
ベートーヴェン自筆の第九の楽譜

年の瀬に『第九』の演奏会で感動の一夜を過ごしてみては

作家ロマン・ロランは『第九』を「ベートーヴェンの生涯の全書である」と書いています。
その言葉通り、この曲にはベートーヴェンの名言である「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ!」という考えが見事に音楽で表現されています。
シラーの詩「歓喜に寄す」に深い感銘を受けた若き日の楽聖が30年の歳月を積み重ねてあたため、晩年53歳になってようやく完成したこの交響曲には、「人間愛」や「世界愛」が描かれているのです。
「人類共同社会の理想とすべき真実、調和と秩序の楽園の観念」というベートーヴェンの理想が盛り込まれているといってもよいでしょう。
楽聖ベートーヴェンの真髄を味わわせてくれる『第九』。
今年の年末は演奏会に出かけ、感動の一夜を過ごしてみるのもいいかもしれません。

音楽室でお馴染み「楽聖 ベートーヴェン」
音楽室でお馴染み「楽聖 ベートーヴェン」